私たちが日々の暮らしの中で自然や動物とどう向き合うか―その根っこには、長い歴史をかけて築かれてきた価値観があります。現代の環境問題を語るとき、しばしば耳にする「人間中心主義」という言葉。それは一体どのような考え方で、私たちの社会や自然との関係にどう影響してきたのでしょうか。
この記事では、人間中心主義の基本から歴史、そして対立する考え方までを、わかりやすく丁寧にご紹介します。
人間中心主義とは:定義と基礎
人間中心主義(Anthropocentrism)とは、「人間こそが最も価値ある存在であり、自然や動物は人間のために存在する」という考え方です。1970年代に環境倫理学という新しい学問が生まれた際、真っ先に批判の対象となった思想でもあります。
自然を「道具」として見る視点
人間中心主義では、理性を持たない存在―つまり動物や植物、自然を「モノ」とみなします。これらは人間の目的を果たすための「道具」として、相対的な価値しか持たないと考えられてきました。
この視点では、すべての責任や義務は最終的に人間に対してのみ負うことになります。
2つのタイプ
人間中心主義には強いタイプと弱いタイプがあります。
- 強固な人間中心主義: 本質的な価値を人間だけに認める立場
- 弱体化された人間中心主義: 人間に最も大きな価値を認めるが、他の存在にもある程度の価値を認める立場
弱体化タイプの人間中心主義でも、人間の利益のために自然を犠牲にすることは、ほぼ常に正当化されると考えます。
なぜ人間が優位なのか
この考え方では、人間が持つ自己認識、知性、自由意志、道徳感覚といった特別な能力が、優位性の根拠とされてきました。
哲学者カントは、理性を持つ存在を「人格」と呼び、存在自体が目的として扱われるべきだと主張しました。一方で、理性を持たない自然は「モノ」として、手段としてのみ価値があると考えました。
人間中心主義の歴史的な背景
古代ギリシャの思想
人間中心主義の根源は、古代ギリシャ思想まで遡ります。当時から、理性こそが人間の本質であり、動物的な性質を克服できない生き物は、真の価値ある人生を送れないと考えられていました。
哲学者・アリストテレスは「自然はすべて特に人間のために作られた」と述べ、自然物の価値は道具としての価値にすぎないとしています。
ユダヤ=キリスト教の影響
聖書の『創世記』には、人間が「神の像(イメージ)」に創造され、地球を征服し、あらゆる生き物に対して支配権を持つと書かれています。
中世の神学者たちは、神が創造した存在の序列の中で、人間を天使の下、他のすべての生命体の上に位置づけました。トマス・アクィナスは「動物は人間の用途のために秩序づけられている」と述べています。
歴史家であるリン・ホワイト・ジュニアは、キリスト教によって自然は神聖なものから切り離され、人間中心的な世界観を促進したことが、現代の環境危機の歴史的根源だと指摘しました。
近代科学の時代
16〜17世紀の科学革命期、デカルトは心と身体を分ける二元論を確立し、人間以外の動物を意識を持たない「機械」と見なしました。この考えは、動物実験などを正当化する根拠となりました。
啓蒙主義の時代には、自然を調査し、消費し、支配する道具的合理性という考え方が広まりました。これが、自然を単なる「資源」として扱う態度につながっていきます。
人間中心主義と関連する概念の違い
人文主義(ヒューマニズム)との違い
人文主義(Humanism)は、人間の尊厳、文化、福祉を重視する古典・ルネサンス思想です。一方、人間中心主義では「人間だけが本質的な価値を持ち、他はすべて人間のために存在する」という価値の優劣を強調します。
広範な哲学的・歴史的伝統である人文主義が、人間中心主義という人間にのみ(または他の存在より圧倒的に優位に)内在的価値を認め、他を手段として扱う倫理的立場を生んだと言えます。
人間中心主義が抱える問題点
環境破壊との結びつき
人間中心主義は、人間と自然の深刻な断絶を生み出しました。自然を「資源」や「商品」として見る考え方は、環境専門家の判断手法にも浸透し、環境破壊を経済成長とのトレードオフとして容認する傾向を強めています。
河川が下水道や産業の動力源に、森林がアグロ産業に置き換えられるなど、短期的利益のための破壊的行為が正当化されてきました。
哲学者たちの批判
ピーター・シンガーは、人間という種だという理由で人間を優先することは、人種差別や性差別と同じ種差別主義だと批判しました。彼は、苦痛や快楽を感じる能力がある生き物は道徳的配慮をするべきだと主張しています。
法学者であるクリストファー・ストーンは、「木は訴訟を起こすべきか?」という論文で、自然物にも法的権利を認めるべきだと提案したことで有名です。人間ではない企業が法的人格を認められているなら、森や川にも同じ権利があってもいいのではないか、という問いかけです。
哲学者のブライアン・ノートンは、弱体化された人間中心主義という現実的な立場を提案しました。これは、人間に最も大きな価値を認めつつも、自然にもそれ自体としての価値があることを認める考え方です。

対立する思想:非人間中心主義とは
生態系中心主義という考え方
人間中心主義とは正反対の生態系中心主義(Ecocentrism)は、人間以外の存在、特に生態系全体に本質的な価値を認めます。
この立場では、個々の生き物だけでなく、種や生態系といった「全体」に価値があると考えます。
アルド・レオポルドの土地倫理は、土壌、水、植物、動物のすべてを含む「土地」全体を生物共同体として捉えます。人間は自然の「征服者」ではなく、「一介のメンバー」に過ぎないという主張です。
ディープエコロジーは、さらにラディカルな生態系中心主義を掲げています。人間と非人間の生命はすべて、それ自体に価値があり、人間の目的とは無関係に尊重されるべきだとします。自然を傷つけることは自己を傷つけることだという認識です。
関連記事:ディープエコロジーとは:人と自然の関係を根本から問い直す環境哲学
エコフェミニズムとソーシャルエコロジー
エコフェミニズムは、女性の抑圧と自然の抑圧が同じ根源だと考えます。あらゆる形態の抑圧を終わらせなければ、真の環境保護は実現しないという主張です。
ソーシャルエコロジーは、環境問題の根源を社会の階層制度にあると考えます。人間同士の支配関係が、自然への支配的態度を生み出すという考えです。非階層的で共同体的な社会への変革を提唱しています。
アニミズムの再評価
アニミズムとは、動物、植物、物質的な対象にも魂や人格を認める世界観です。
かつては「原始的」と見下されていましたが、現代では新しいアニミズムとして再評価されつつあります。世界は人格に満ちており、その一部だけが人間である―他の存在に敬意を持って関わる生き方として、環境哲学で注目されています。
日本の自然共生という思想
日本の伝統的な信仰や文化は、人間を自然から分離せず、優位にも置かない世界観を育んできました。
共生という考え方は、人間中心的な目標(人間の繁栄)と生態系中心的な目標(環境の維持)を同時に追求できる枠組みです。人類の利益は、生態系全体の利益を考慮して初めて繁栄できるという認識に基づいています。
自然そのものを「利害関係者」として見なし、生物共同体の安定性と美しさを尊重する―これは西洋の人間中心主義とは異なる、東アジアの伝統を受け継ぐ日本的な視点と言えるでしょう。

非人間中心主義的な自然との関わり方
人間中心主義を超えた自然との関わり方とは、どのようなものでしょうか。ここでは、日常生活で実践するための具体的な方法をご紹介します。
自然を「人格」として捉えよう
従来の人間中心主義では、自然を「モノ」や「資源」として扱ってきました。しかし、非人間中心主義では、自然を意図や目的を持つ「主体」として尊重します。
植物との対話: 庭の木や鉢植えの植物を、単なる装飾や酸素を作るための機械ではなく、独自の生命を持つ存在として接してみましょう。水をあげるとき、話しかけたり、その状態に注意を払ったりすることで、彼らの「声」に耳を傾ける感覚が生まれます。
土地への敬意: 散歩する道や住んでいる土地を、単なる背景ではなく、それ自体の権利を持つ存在として認識します。そこから何かを一方的に奪うのではなく、贈り物をもらい、お返しをするような相互関係を意識してみましょう。
道具を大切にする: 自転車、やかん、日用品など、長く使う物を「単なる道具」ではなく、敬意を持って扱います。壊れたら修理し、その機能や存在を尊重する。こうした態度は、生き物だけでなく人工物にも広げることができます。
関係性の中で生きよう
人間中心主義は、人間を自然から「分離」した存在として捉えています。しかし実際には、私たちは自然や社会との関係性の中で形成される存在です。
身体と感覚を大切にする: 頭で考える理性だけでなく、五感を通じて自然を感じる「身体性」を大切にしましょう。土の匂い、風の音、木々の感触―こうした感覚的な経験が、自然とのつながりを回復させます。
場所との一体感: 自分が住む地域や環境を、単なる「人間の環境」ではなく、自分自身のアイデンティティの一部として認識します。その土地の歴史や生き物、季節の変化に関心を持つことから始めてみましょう。
消費の選択を見直そう
日々の消費選択は、自然に対する私たちの態度を反映しています。
食の倫理を考える: 「味覚のための手段」のみとして動物を扱うことをやめ、肉食がもたらす影響を認識しましょう。必ずしも完全な菜食主義である必要はありませんが、自分の選択が命に与える影響を理解することが大切です。
動物実験製品の不買: 美容品や清掃用品の中には、不必要な動物実験を行っているものがあります。そうした製品の購入を控えることは、非人間的存在への配慮を示す行動です。
自然体験を通じた価値観の変容
自然を単なる景色の背景ではなく、尊敬の中に恐れも含まれる畏敬の念を感じる対象として接することで、私たちの価値観そのものを変える力を持っています。
森の中で静かに過ごす時間、川のせせらぎに耳を傾ける瞬間、星空を見上げる体験―こうした自然との直接的な触れ合いは、「変容的価値」と呼ばれます。市場で売買できない、しかし私たちの選好や判断を根本から豊かにする経験です。
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これからの環境倫理を考えるために
人間中心主義という考え方は、私たちの社会や思考に深く根付いてきました。しかし、環境問題が深刻化している現代において、この思想の限界が指摘されています。
非人間中心主義、生態系中心主義、そして日本の共生思想など、多様な価値観を知ることは、これからの自然との関わり方を考える上で大きなヒントになるでしょう。
一人ひとりの日常の選択が、やがて社会全体の価値観を変えていきます。自然を単なる「資源」ではなく、共に生きている存在として尊重すること。その小さな実践の積み重ねが、持続可能な未来への第一歩となるはずです。
(参考)
- Abe, Hiroshi, Matthias Fritsch, and Mario Wenning. 2022. Environmental Philosophy and East Asia: Nature, Time, Responsibility. Political Theories in East Asian Context. Routledge.
- Callicott, J. Baird, and James McRae. 2016. Japanese Environmental Philosophy. 1st ed. Oxford University Press.
- Sarkar, Sahotra. 2005. Biodiversity and Environmental Philosophy: An Introduction. Cambridge Studies in Philosophy and Biology. Cambridge University Press.
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- Hale (editor), Benjamin, Andrew Light (editor), and Lydia Lawhon (editor). 2022. The Routledge Companion to Environmental Ethics (Routledge Philosophy Companions). 1st ed. Routledge.
- Brennan, Andrew, and Y. S. Lo. 2014. Understanding Environmental Philosophy. Routledge.
- Berry, R. J. 2018. Environmental Attitudes through Time. Cambridge University Press.
- Holland, Alan, John O’Neill, and Andrew Light. 2008. Environmental Values. Routledge.
- Hickel, Jason, Kofi Klu, and Rupert Read. 2022. Less Is More: How Degrowth Will Save the World. Windmill Books.Gaard, Greta, ed. 1993. Ecofeminism. Temple University Press.

パリ第四大学哲学修士課程を終了後、翻訳家・ライターとして活動。サステナビリティに興味があり、サステナブルな暮らしをサポートするウェブサイト「エコ哲学」を運営。哲学的な視点を新しいライフスタイルにつなげたいと思い、発信を続けています。