「廃線鉄道とは何なのだろう」との疑問があります。
世界に誇る日本の鉄道は、明治5年に新橋~横浜間が開通して以来、ものすごい勢いとスピードで発展、鉄道は全国の山河を切り拓いて、地方と街を結び流通を広げました。やがて鉄道の技術は造船、軍需産業へと開発されて、さらに鉄道は日本独自に進化を続けました。しかし100年が経つと、自家用車時代となって、乗客減少と赤字路線で「ローカル線廃止対象」(昭和55年)は全国におよび、とくに北海道、九州は多くが消えて行きました。

まず、日本の「廃線全図」を見て、その後に一本一本のウォーキングを取り上げたいと思います。

春は廃線跡ウオークの季節

そんな廃線の数は3000本を超えると思われます。たとえば炭鉱鉄道、臨港鉄道、軽便気道、登山鉄道、北海道拓民軌道、軍事鉄道ほか、さらに路面の東京都電など、あらゆる鉄道が全国に存在していたのです。現在、把握しているのは主に200本くらいです。私が歩いたのは全国約120本です。徒歩と自転車、自動車によります。服装は、場所によっては雑木林に変化した路線、数十年経ったトンネルの中など、思いがけない障害物にぶつかることもありますので、ハイキングスタイルが良いでしょう。土地の地図、筆記具、それに懐中電灯は、トンネルのある所は必需品です。

いまでも、現役の身近な鉄道のいくつかが消えて行っています。寂しい気持ちもありますが、今度は鉄道跡を歩くという旅は、どうでしょうか。新しい風物が自分の目線で見ることができます。鉄道開通の明治、大正時代の風景がもどってきて開けます。

北海道・広尾線「幸福駅」

素晴らしい日本風景がよみがえる

街から村にかけて、さらに山河を行き山脈を望む路線に、かつての風景がよみがえってきます。大自然の中に鉄道跡が続いています。車窓から見た海岸線や山脈が、目の前に悠然と広がっているのです。大げさに言えば、日本の新しい風景でしょう。鉄道跡探訪は、そうした地帯の探検であり、鉄道跡に遺物を発見する考古学探訪なのです。

線路によっては、北海道のように広大な地域では、廃線跡は運行当時のまま放置されています。言い換えると、停車した場所がそのまま車輛の保存場所になっています。除雪車、機関車、列車が駅舎のホームに横づけになっています。20年前、30年前のその当時の時間が止まっています。この風景は、人によってはさまざまな印象を持ち、感動を与えます。

夏の北海道は、こうした駅舎跡が、無料の宿泊所になっています。バイク族、車族が多く利用しています。北海道には多数の廃線がありますが、主なものは根室拓殖鉄道、札沼線廃止区間、広尾線、士幌線、三菱鉱業大夕張鉄道、幌内線など、廃線跡駅舎が博物館のように歴然と時間が停止しています。もちろん、一度にまわれませんので、途中で宿泊せねばなりません。

雪のない季節ですと、キャンプ旅もまた良いものです。ただし、熊の出没掲示に注意しましょう。

北海道・三菱鉱業大夕張鉄道 駅舎と除雪車

沖縄まで鉄道跡はあるよ

また鉄道跡は自転車道路として手が入れられて、子供から高齢者のハイキング路として親しまれている路線もあります。まわりは畑のなかや町なかもあります。

関東の代表を上げれば筑波鉄道かも知れません。軌道後は人と自転車が楽しめる遺構の線です。JR常磐線土浦駅の1番線が昔の筑波鉄道。岩瀬までの40・Ⅰ㌔。(大正7年開業~昭和62年廃止)でした。40㌔ありますから、徒歩の場合の1日距離は、10キロ程度に区切りましょうか。自転車道路を友人とハイキングで走るのは、舗装されて快適です。

「沖縄にも鉄道があったのですか」とよく訊かれます。

戦前まで3線がありました。空爆で沖縄の地形が変化するほど爆撃をうけ、鉄道はすべて破壊されました。以降、再建されることはなく、現在はサトウキビ運搬のトロッコが離島にあります。ほかはモノレールとバスがありますが、鉄道は1本の路線もありません。

戦前の鉄道は「沖縄県営鉄道」といい、与那原線、糸満線、嘉手納線と言いました。所々に、鉄道の橋台、レール破片などを発見することがあります。

かつて、両親と車窓から眺めた風景の記憶はありませんか。
いまでもその鉄道は運行していますか。故郷であったり、旅の思い出であったりと、さまざまです。まずそんな廃線跡を訪ねてみてはいかがでしょう。家族と、恋人と、仲間達と。

信越旧線眼鏡橋第3橋梁

なによりも鉄道跡は、車が入ってきませんので、子供には安全です。歩行にも、自転車などでもウオーキングは新しいハイキングです。山村を通ってトンネルを抜けると、森の自然への冒険もあります。

《参考URL》
廃線全図 | 地図蔵

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