地球環境の危機が叫ばれるなか、人類と自然の関係性を見直す「プラネタリーヘルス」という考え方が注目を集めています。この考え方は、私たちの死生観にも大きな影響を与える可能性を秘めており、人生のさまざまな局面での選択や行動に反映されるかもしれません。
今回は、桐村里紗医師と黒田未来雄氏によるプラネタリーヘルス講演「地球のこころに近づこう 〜医師と猟師と共に考える日本人の死生観〜」(主催:四万十川の源流 森の国Valley)で学ばせていただいた内容をもとに、プラネタリーヘルスとは何か、日本人の死生観との関わりについて紹介します。
プラネタリーヘルスとは
プラネタリーヘルスは、2015年のワールドヘルスサミットで提唱された比較的新しい概念です。人類の健康と地球の健康は密接に結びついているという認識に基づいており、気候変動、食料安全保障、生物多様性の喪失などの地球規模の問題が、直接的または間接的に人間の健康に影響を与えているという考え方です。
講演のなかで桐村医師は「多くの経済活動が自然資本に依存している」と述べています。この一見当たり前なことを、現代社会で生きる私たちはどのくらい意識して生活しているでしょうか。自然資本なくして経済活動を行うことはほぼ不可能で、食そのものも自然に依存しています。にもかかわらず、私たちは自然を破壊し土壌を劣化させ続け、人が住みよいように破壊を繰り返してきたのです。これからは「地球全体を自分だと思って」(桐村医師)という言葉の通り、「プラネタリーヘルス」という考え方を通して、私たちは視座を変えていく必要があるのです。
人類と自然の関係性の再考
私たちは今、人類と自然の関係性を根本から見直す必要性に強く迫られています。自然資本と生態系サービスの重要性を認識し、それらに依存している私たちの経済活動や日常生活を再考する必要があります。
これまでの環境保護の取り組みは、主に自然を「保全」することに焦点を当ててきました。しかし、今後は単なる保全を超えて、積極的に自然を「再生」していくパラダイムシフトが求められています。(桐村医師)ネイチャーポジティブな活動を通じて、劣化した生態系を回復させ、生物多様性を豊かにしていく取り組みがより重要になっていきます。
この新しい視点を体感し、自然との再接続を促すための手段として、プラネタリーヘルスツーリズムが注目されています。これは単なる観光とは大きく異なります。自然の中での体験を通じて地球とのつながりを体感し、新たな視座を得ることを目的としています。ここで言う新たな視座というのは、人の行動変容に影響をおよぼし、「不可逆的な変化をもたらす」ほどのレベルで地球とつながる体験をすることだと言います。
体験を通じて私たちは「生態系とは何か」「地球とつながるとはどういうことか」を深く考え、実践する機会を得ることができるのです。
日本的生命観とプラネタリーヘルス
多様な問題が顕在化している現在の地球の姿を真に受け止めなければならない一方、プラネタリーヘルスの考え方は、実は日本人の生命観と多くの共通点を持っていると言われています。
日本の仏教思想には、利己と利他が本質的に一体であるという考え方があり、これは「個人の健康」と「地球の健康」が不可分であるというプラネタリーヘルスの基本的な考え方に通じるものです。自分のためになることは同時に他者のためにもなり、ひいては地球全体の健康にも寄与するという視点は、今日の環境問題に取り組む上で非常に重要です。また、古代より日本には自然と人は一体である、という考え方があり、人が自然をも支配するキリスト教とは考え方そのものに違いがあるという点も講演で語られました。
プラネタリーヘルスという言葉は、海外から生まれた言葉でありながらも、日本人は古くから常にプラネタリーヘルスに基づいて生活を営んでおり、世界は今まさに日本的な考え方に基づいて行動すべき時期に来ていると言えます。(桐村医師)
また、プラネタリーヘルスの視点から生命を捉えると、私たちの日常的な行為である「食べる」ことにも深い意味が見いだせます。食事は単なる栄養摂取だけではなく、他の生命を自己の一部とし、不要なものを排泄する循環のプロセスです。桐村医師は「食べるという行為は、他者を犠牲にして自己に入れて排泄する、常に生と死の循環」だと指摘します。
すべての生き物(ウイルスを除く)が、外部から何かを取り込み、不要なものを排泄して生きているのです。つまり、生命活動そのものが絶え間ない循環の過程のなかにあり、この認識は、私たちが自然の大きな循環システムの一部であることを示しています。
プラネタリーヘルスと死生観
元自然番組ディレクターで現在は狩猟者でもある黒田氏は、生命活動の循環性について独自の視点を提供してくれました。狩猟の経験を通じて、黒田氏は生と死の密接な関係を直接観察してきたそうです。
たとえば、鹿の解体後にキタキツネやカラスが肉を分け合う様子は、ひとつの生命の終わりが他の生命の糧となる自然の循環を如実に示しています。また、ヒグマのような大型動物との対峙は、人間も生態系の一部であり、捕食者にも被食者にもなり得ることを実感することになると言います。
これらの経験は、プラネタリーヘルスの概念と深く結びついており、生態系における人間の位置づけを謙虚に受け止め、自然との調和の重要性を再認識させるのです。
また、こういった考え方は、単なる哲学的考察を超えて、私たちの日常生活や環境に対する態度を変える可能性を秘めています。死を恐れるのではなく、生命の大きな循環の一部として受け入れることで、より豊かで意味のある生き方を見いだすきっかけとなり得るのです。プラネタリーヘルスと狩猟者の視点は、私たちに生と死の循環を深く理解させ、自然との一体感を抱かせる重要なきっかけとなるのです。
狩猟を通して感じる自然への感謝
黒田氏の講演で特に印象的だったのは、狩猟という行為は、実は食べ物の「物語」を知る唯一の機会だという点。スーパーでパック詰めされている肉からはまったく得られない情報、たとえば、 生きている時の姿、性別、年齢、育ってきた環境、狩猟当日の天気やその時吹いていた風、そして最後の瞬間、を狩猟者は唯一語ることができる人です。
この狩猟の過程で得た知識や情報は、「いただきます」という感謝の言葉に現れます。スーパーで買う「肉」に対して言う「いただきます」は、食べる際のおそらく1回でしょう。一方、みずからの手で仕留めた獲物に対しては、「いただきます」を言う回数と言葉に対する重みがまったく異なります。
引き金をひく瞬間に最初の「いただきます」。その後、解体、調理をする際、それぞれに対する「いただきます」。そして、最後に食べる時の「いただきます」。(黒田氏)
「いただきます」という言葉は、「お命を頂戴します」という弔いの言葉でもある。(黒田氏)
こう思えるのは、きっと、生きていた姿を知り、生命の尊さと循環を身をもって学んでいるからこそ。それを知らない人よりも何倍もの深い意味と感謝の念が、「いただきます」のなかに込められているのだと強く感じました。
プラネタリーヘルスが示す新たな生き方
プラネタリーヘルスの概念は、私たちに自然との再接続の重要性を強く求めています。現代社会において、多くの人々が自然から切り離された環境で生活していますが、本来、人間は自然の一部であり、地球全体の健康と個人の健康は密接に結びついているものなのです。まずは、この認識を取り戻すことが、未来への第一歩となるのではないでしょうか。
今回の講演を聴き、未来への希望が持てた点があります。それは、上述したように、日本の伝統的な自然観とプラネタリーヘルスには親和性がある点です。日本の文化に根付いた、自然との共生の思想を今一度思い起こすことにより、グローバルな環境問題の解決に生かせる可能性があります。
一方で課題は、都市化や産業化によって人々が自然から遠ざかっている現状があり、本サイトの運営者であるNature Serviceが「自然に入ることを、もっと自然に。」をテーマに活動する理由とも合致します。いかにして現代社会のなかで自然との再接続を図るか、具体的な方策を見いだしていく必要があります。
桐村医師、黒田氏ともに繰り返していたのは、「足元から小さくはじめよう」ということ。壮大な未来を描くのではなく、本当に小さなところからはじめることが大切、と。また、実際に自然とつながる経験をすることの大切さも強調していました。
「人間以外は住めても、人が住めなくなる地球になる。」(桐村医師)は、決しておおげさな表現ではなく、何もしなければ現実となる可能性が高いと思えるほどに、多くの人たちが地球環境の悪化を実感しているのではないでしょうか。
プラネタリーヘルスの視点は、私たちに希望を与えると同時に、大きな責任も課しています。地球は私たちの唯一の住処(すみか)で、生きるのも死ぬのもこの場所です。一人一人が自然との関係性を見直し、地球全体の健康を自分自身の健康と同様に大切にする姿勢を持ち続けることが、今後の人類と地球の共生にとって不可欠なのです。
Nature Serviceのウェブメディア NATURES. 副編集長。
自然が持つ癒やしの力を”なんとなく”ではなく”エビデンスベース”で発信し、読者の方に「そんな良い効果があるのなら自然の中へ入ろう!」と思ってもらえる情報をお届けしたいと考えています。休日はスコップ片手に花を愛でるのが趣味ですが、最近は庭に出ても視界いっぱいに雑草が広がり、こんなはずじゃなかったとつぶやくのが毎年恒例となっています。