石炭と聞くと、世代によっては何それ?と思う方もいることでしょう。しかし石炭は北海道だけではなく、日本の発展に欠かせない貴重な資源でした。また石炭は、北海道そのものの成り立ちにも深くかかわっています。札幌の近くにある三笠市へ、その関係を学びに出かけてみませんか?
石炭は地球の歴史を物語る証
昭和50年代、石炭は資源としての役目が終盤を迎え、北海道内の主な炭鉱はすでに閉山していました。しかし石炭が産出されていた地域(産炭地といいます)では保管されている石炭を使い切るため、ストーブの燃料に石炭を使用している小学校もありました。そういった小学校ではストーブ当番というのがあり、2人1組で週に1度、朝ちょっと早めに学校に行ってストーブに火を熾すのです。筆者も体験しましたが、石炭が燃え始めるときの独特の匂い。決して臭いわけではなく、薪の匂いを強くしたような香ばしさでした。
子供のころは何の疑いもなく石炭はただの石ころだと思っていましたが、大人になって事実を知り、香ばしさの理由に合点がいきました。北海道に自生種はもう無い「メタセコイア」などの巨木が変質して化石化したものだったのです。樹木が完全に腐る前に土中に埋まり、そして泥炭を経て石炭になり……と、ダイナミックな地球の動きに関連した産物でした。いわば石炭は、地球の歴史を物語る証といえます。
今ではもう石炭を見る機会はありませんが、それでも北海道には石炭の露頭を観察できる場所と、地球の歴史を学べる場所がいくつかあります。そのうちの一つが、札幌から車で1時間ほどの場所にある旧産炭地の三笠市です。
三笠市の博物館裏で石炭の露頭観察
三笠市には、アンモナイトなどを始めとする太古の動植物の化石を観察できる市立博物館があります。館内展示も面白いのですが、地球のダイナミックさを感じられる現象を、裏手にある約1.2㎞の遊歩道で観られます。石炭の露頭は、地中深くにあった石炭層が地球の動きによって上昇したものです。石炭地層の上昇は、北海道のベースをつくった北米プレートとユーラシアプレートの衝突によって、北海道の屋根である日高山脈ができたときの副産物です。
長年、三笠市や隣の夕張市などで産出された石炭が北海道や日本の経済を支えてきたことを、この真っ黒い帯が続く露頭から感じ取れます。
地層と地層が押し曲げられた“垂直”の地層
プレート同士の衝突は、地層を“垂直”にしました。一般的に地層は水平“ヨコ”ですが、何とこちらでは“垂直”の地層が観られるのです。地層と地層が押し曲げられて、地層が“タテ”になっているのです。一見素通りしそうな場所ですが、よく考えてみてください。ヨコになっている地面がタテなのです。そう、地震を思い出すと何となく想像できるのではないでしょうか。非常に恐ろしいことですが、このような動きがその後もありながら人類が生き延びていることに思いが至ると、「頑張ったね、人間!」と褒めたたえたくなります。
1億年前から5千年前までひとまたぎ
この垂直に押し曲げられた地層に関連し、別にも面白い自然現象が観察できます。1億年前から5千万年前の地層を“ひとまたぎ”できる覆道があります。タテになったときに5千万年分が消えたというのです。どういうことでしょうか?
地層は水中で砂や土が層になってできますが、ここの地層は海水面が下がって陸地になったときに風化し、5千万年分の地層が消えてしまったとのこと。長いときを経て大地が生まれ、そしてまた長いときを経て無へと帰した、大地の痕跡なのです。
ガイドツアーに参加して知識を深める
三笠市では、ジオパーク推進協議会が主体となり、今回ご紹介した遊歩道を中心に、各種のジオツアーを開催しています。三笠市の歴史を通して石炭が地域発展に果たしてきた役割、地球のダイナミックな動きとの関係、人々の暮らしなどについて学べます。
自然現象は説明を受けないと分からないことがたくさんあります。まずガイドツアーに参加し、そしてもう一度こちらの遊歩道を歩いてみてください。確かな知識を元にし、創造の翼を広げて時空の旅に出かけましょう!
ちょっと元気がなくなったときにはひとり夏山に登ってパワーをもらっています。さまざまな地形を観、どうやって出来たのかを想像するうちにワクワクしてきて「また頑張ろう!」と思えます。そんな気持ちを皆さんとシェアできることを楽しみにしています。