日本には、春の若葉、夏の濃い緑、秋の燃えるような紅葉、そして冬の澄んだ静けさという美しい四季があります。この移ろいゆく自然のリズムは、実は昔から日本人の健康観や暮らし方に深く影響してきました。

近年、”ウェルビーイング”という言葉が広く浸透し、心身の健康や生き方そのものへの注目が集まっています。この”ウェルビーイング”という概念と共通点を多く持つ「養生」という知恵をご存じでしょうか。中国に起源を持ちながらも日本の風土の中で独自に発展してきたこの思想は、いま新たな視点で見直されつつあります。

そんな養生の現代的意義を探るため、明治国際医療大学鍼灸学部の伊藤和憲教授にインタビューを行いました。東洋医学の研究・教育に長年携わりながら、各地で「養生の実践」を広める伊藤先生のお話をもとに、養生の本質、現代的な価値、そして個人から社会へ波及する可能性までを全3回でひもときます。


プロフィール:伊藤和憲先生

明治国際医療大学鍼灸学部長・教授として、鍼灸治療や東洋医学の研究・教育に長年携わる第一人者。特に慢性的な痛みの治療や、「養生」の考え方を現代に活かす活動を精力的に実施。大学での研究・教育活動に加え、「一般社団法人 日本養生普及協会」の会長、「YOJYOnet株式会社」 のCEOとして、養生の考え方を広く社会に普及させるための取り組みを展開。

カナダのトロント大学での研究経験もあり、東洋医学の知見を科学的視点から検証する研究に取り組む。「四季の変化に寄り添った生活」「自然との調和」「地域とのつながり」を大切にする養生の考え方を通じて、現代人の心身の健康と社会の活性化を目指す。
著書:今日からはじめる養生学慢性痛は自分で治せる! など多数


忘れられた日本の知恵──いま「なんとなく不調」が増えるわけ

「最近どうも疲れがとれない」「理由はないけれど気分が晴れない」「仕事への意欲が続かない」──テクノロジーが発達し、便利なはずの現代社会で、こうした声が絶えません。伊藤先生はその背景を次のように語ります。

「私たちは四季から切り離された暮らしを送っています。エアコンで一年中一定の温度、スーパーには季節外れの食材が並ぶ。便利ではありますが、季節の刺激を受ける機会を自ら手放しているのです。その結果、自律神経やホルモンバランスが本来のリズムを見失い、心身のバランスが崩れやすくなっています。」

そこで光を当てたいのが「養生」という考え方です。「養生テープ」や「養生シート」のような工事用資材を連想する方もいるかもしれませんが、ここで言う養生とは、東洋医学の思想からくる「養生」の方です。病気を回避するだけでなく、「より良く生きる」ことを目的とするこの知恵は、現代のウェルビーイングと響き合いながら、私たちの悩みに大きなヒントを与えてくれます。

養生の本質は「より良く生きる」こと

「医者の不養生」ということわざから、「養生」という言葉に「病気予防」や「健康維持」を連想する人が多いかもしれません。しかし伊藤先生は「命を正しく全うすること」こそが養生の核心だと強調します。東洋医学の思想では、病気というマイナスをゼロに戻すだけでは不十分。ゼロからさらにプラスを志向し、身体もこころも豊かに躍動する状態を目指します。

現代医療が「症状が出てから治す」ことに軸足を置くのに対し、養生は「症状が出る前に自然のリズムと調和しながら整える」アプローチです。たとえば春が訪れる前に山菜を食べ、老廃物の排出を促しておく。こうした季節先取りのケアは、単なる予防を超え、より良い人生体験=豊かな生き方そのものにつながると考えられています。

また、養生には「科学で証明できる部分」と「地域の知恵として体験的に継承されてきた部分」の両面があります。伊藤先生は、科学的根拠だけでは捉えきれない、五感で感じる養生の知恵にも大きな価値があると説明します。養生は実証実験からのみ説明可能なだけでなく、季節や地域の特性を含めた総合的な生き方の知恵なのです。

日本で養生が育まれた背景

それではなぜ、中国で生まれた養生という概念が、日本で発展したのでしょうか。その背景には、日本特有の理由があります。

日本の国土の約7割は森林です。森は四季の変化をもっとも強く感じられる場所であり、古くから薬草や木の実、きのこなど多様な恵みを授けてくれました。

そんな環境で暮らしてきた私たち日本人は、季節ごとに異なる自然のメッセージを読み取り、生活に取り入れながら病を遠ざける知恵を磨いてきたのです。

医療インフラの乏しかった時代、病気は命取りでした。だからこそ「そもそも病にかからない暮らし方」が重みを持ち、地域の祭りや四季を通した年中行事の中に病気を回避する工夫を巧みに組み込んできました。

たとえば、京都の祇園祭(ぎおんまつり)や大阪のだんじり祭。

「祇園祭が“ゆったり歩く”構成になっているのは、夏の暑さに配慮した動き。対して秋に行われるだんじり祭が“激しく動く”のは、冬に備えて循環を高め、免疫力を底上げする狙いがあると言われています。」(伊藤先生)

一見すると信仰や伝統芸能のような行事でも、裏にはからだを守る生活医学が息づいているのです。

こうした地域ぐるみの実践は、近年ビジネスやヘルスケアの領域でキーワードになっている「ウェルビーイング」とも深く響き合います。

ウェルビーイングと養生の関係性

世界保健機関(WHO)はウェルビーイングを「身体的・精神的・社会的に良好な状態」と定義します。伊藤先生はこれを踏まえ「養生はウェルビーイングをすでに先取りしていたと言っても良い」と説明します。

養生が目指すのは、単に長生きすることではなく、いかに充実した人生を送るかという点。これは現代のウェルビーイングの概念が重視する「生活の質」や「人生の満足度」という価値観と重なります。

また、伊藤先生が特に強調するのは「プラスの健康観」です。現代医療は主に『病気というマイナス状態をゼロに戻す』ことを目的としています。一方、養生は『ゼロの状態からさらにプラスの状態を目指す』という発想です。これは今のウェルビーイング概念と同じ方向性を持っています。

たとえば、腰痛を治療して痛みがなくなった状態が「ゼロ」だとすると、そこからさらに一歩進んで、活力に満ち、創造性が高まり、生きる喜びを感じられる「プラス」の状態が養生が目指す姿です。

養生には本来、みんなで取り組むものという考え方があり、たとえば季節のお祭りや地域の共同作業がそれにあたり、自分の体調管理を継続しながらも「地域のため」「訪れてくれる人のため」につなげています。こうした共同体意識は、ウェルビーイングが重んじる「社会的に良好な状態」の要素と共通しているのです。

身体的・精神的・社会的側面をまるごと包み込む養生は、個人の健康維持にとどまらず、コミュニティ全体を元気にする力を秘めています。ウェルビーイングの実践を意識する今こそ、養生という日本の文化を見直す時でもあるのです。

現代社会における養生の意義

24時間365日、温度も光もボタン一つで制御できる現代、私たちの体は「本来必要としていた刺激」を失い、眠っている機能をうまく使えていません。現代社会における養生の意義はそこにあります。養生はその眠りを覚まし、季節のリズムを体内時計に再インストールする作業とも言えます。

難しく考えず、まずは「知る」だけでいい、と伊藤先生は言います。

「節分に豆まきをする」「端午の節句にかしわ餅を食べる」──こうした季節行事の一つひとつが、実は養生の実践です。全部を完璧にこなす必要はありません。まずは“今がどんな季節なのか”にアンテナを向ける。それだけでも自律神経が適切に刺激され、体内のリズムが応えてくれます。

具体的な実践方法や関わり方については、次回「森と季節の養生法 ─ 自然のリズムとつながりで続ける健康習慣」で詳しく取り上げます。また、近年では企業経営にも新たな視点をもたらし始めています。この点については、本シリーズの第3回「企業と地域が取り組む養生 ─ 社会的健康への新しいアプローチ」で詳しく取り上げています。

過去の遺産ではなく、時代を拓く哲学

日本の四季と共に育まれてきた養生の知恵は、日々の暮らしを少しずつ 「ごきげん」 にする考え方です。それは単なる健康法を超え、自然と調和しながら充実した人生を送るための哲学であり、実践なのです。

養生は過去に存在していた古い知恵などではありません。むしろAIやITが進化する現代こそ、私たちが人間らしく、そして自然と調和して生きるための羅針盤と言えるでしょう。

次回は森と季節の養生法 ─ 自然のリズムとつながりで続ける健康習慣と題し、森が養生に最適なフィールドである理由や実践のヒントを探ります。