前回の「養生とは何か?─命を正しく全うする日本の知恵をいまに生かす」では、養生とは「命を正しく全うする」ための知恵であり、単なる病気予防ではなく、より良く生きるための実践であることを紹介しました。今回は、その知恵を実際の日々の暮らしに落とし込むヒントを、引き続き伊藤先生のインタビューをもとに紹介します。
では、養生を実践する場として最も適しているのはどこでしょうか。伊藤先生によれば、それは「森」なのだそうです。
森が養生に最適な理由
森はただリラックスできる場所というだけでなく、養生を実践するための理想的な環境だと伊藤先生は言います。ではなぜ森が養生に適しているのでしょうか。
その最大の理由は、森が四季の変化を鮮明に感じられる場所だからです。養生と四季は切っても切れない関係にあります。日本古来の養生において、季節の変化に合わせて生活を調整することが健康の基本とされてきました。そして、四季の移ろいを最も豊かに体感できる場所が「森」なのです。

森は単なる自然環境ではなく、五感すべてを通じて季節を体験し、心身を整える理想的な舞台だと言われています。
日本の国土の約7割を占める森林は、私たちの生活や文化の基盤となってきました。森に一歩足を踏み入れると、木々が作り出す澄んだ空気、湧き出す水、漂う香り、小鳥のさえずり―視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚という五感すべてが働きはじめます。
現代人の生活は便利になった反面、室内で人工光に照らされ、ディスプレイを見つめ、イヤホンから一定の音量を絶え間なく浴びる毎日です。五感の使い方に偏りが生じやすく、心身のバランスが崩れやすい状況とも言えます。
森に入ると、目は緑色のグラデーションでやすらぎ、耳は遠くの水音や鳥の声に開かれ、鼻は木々のフィトンチッドを取り込み、肌は湿度や風の冷暖を感じ、そして季節ごとの食材を採り、味覚まで刺激されます。このまんべんなく感覚を使うことこそが、養生において大きな価値をもたらし、森がその場所として最適なのです。
西洋と日本の森林活用の違い
養生の価値を理解するには、文化による森林の捉え方の違いを知ることも重要です。「森に入る」「森を歩く」という一見同じ行為でも、文化的背景によってその意味合いは大きく異なります。
欧州をはじめ海外でも「森林浴」は広く認知され、健康法としても人気を集めています。しかし、伊藤先生によれば、森と健康を結びつける考え方は共通していても、そのアプローチには明確な違いがあると言います。
「欧州では森を主に身体活動の場として捉えています。森林浴と言っても、森林を歩くという行為自体がメインで、そこに息づく文化や伝統、季節の食材といった要素はあまり重視されない傾向があります。」(伊藤先生)
この西洋的なアプローチは、西洋医学の「症状別」「目的別」の考え方と似ています。たとえば「血圧を下げるために森を歩く」「ストレス軽減のために森の空気を吸い込む」など、特定の健康効果を得るための手段として森を活用する傾向が強いのです。
対して、日本の養生における森の活用は、より総合的な体験を重視します。伊藤先生によれば、日本の養生では、森を散策することに加え、その土地の伝統や歴史、食文化をまるごと感じとります。山菜を摘んで地元の調理法で味わい、湧き水の冷たさに触れ、季節ごとに変わる木々の表情を感じ取る—そういった多面的な体験が、心身の調和をもたらすと考えられています。
そして日本の養生において最も重要な要素の一つが、『季節の変化』を森の中で感じ取ることです。では、養生において季節の変化がなぜそれほど重要なのでしょうか。
季節を味方にする養生法
季節の変化は養生を継続するための自然なきっかけになると伊藤先生は言います。日本の森がもたらす四季折々の変化は、私たちの体と心に「今、何をすべきか」という絶妙なタイミングでサインを与えてくれるのです。
「健康の物差し」を変える
森が季節を通じてさまざまなサインを送ってくれるとお伝えしましたが、そのサインを受け取るには、私たち自身の“物差し”を調整しておく必要があります。伊藤先生はこれを「健康の物差しを変える」と表現します。
「現代の医療は、症状が出てからそれを治すことに主眼が置かれています。しかし養生は、症状が現れるより手前の段階で、季節の変化を利用して心身を整えるアプローチなんです。」(伊藤先生)
頭痛がしてから鎮痛薬を飲む、腰が痛くなってから湿布を貼る―多くの人は“マイナスになった状態をゼロに戻す”発想で行動しがちです。けれど養生の視点では、森の芽吹きや空気の匂いが変わった瞬間を合図に、「そろそろ春仕様の体に着替えようかな」と先回りでケアを始めます。

症状が出る前に少しだけ体調を整えておくことで、不調を未然に防ぎ、常に快適な状態を保つことができる—これが養生の真髄なのです。
では、その“先回りのタイミング”を忘れずにキャッチするにはどうしたらよいでしょうか。森に行く機会があれば、自然と四季の移り変わりを感じることができますが、都会で暮らす現代人には難しいかもしれません。そこで役立つのが、二十四節気という“リマインダー”です。
二十四節気で体調をこまめにチェック
東洋医学には一年を24等分する「二十四節気(にじゅうしせっき)」という考え方があります。伊藤先生はこの二十四節気の考え方が、現代の養生実践においても有用だと説明し、「1年を通して24回も体をチェックするチャンスを提供してくれるもの」と説明します。

二十四節気は単なる暦の区分ではなく、より細かく自然の変化に気づき、それに合わせた生活をするための指針となります。特に季節の変わり目は体調を崩しやすい時期であり、事前に養生することでスムーズに季節の変化に適応できるようになります。
たとえば、立春(2/3~2/17)には冬から春への切り替えを意識しはじめ、啓蟄(3/5~3/19)には冬眠していた虫が動き出すように、体も活動的になる準備をします。立夏(5/5〜5/19)には夏の暑さに備えた体づくりを始めるなど、季節の変化を先取りした生活リズムを作ることができます。
現代人の忙しい日常では、こうした自然のサインを見逃しがちです。そんな方には、二十四節気を知らせてくれるアプリの活用もおすすめです。節気アプリを使えば、日常生活の中で季節の変化を意識しやすくなります。
「節気が来るたびに、自分の心身はどうかな?」と立ち止まるだけで、体調の変化に早く気づけるようになります。それだけで未然に不調を防げることも増えるのです。
旬の食材には“おいしい以上”の意味がある
また、節気と同様に意識して欲しいのが、旬のたべもの。東洋医学には食材そのものが季節の薬になるという考え方があります。節分の豆まきで食べる大豆にはトリプトファンが含まれ、春を迎える上での寒暖差で乱れがちな自律神経を穏やかに整えるといった効果があると言います。
端午の節句のかしわ餅に使われる小豆には、解毒作用や利尿作用があり、初夏に向けて体内にたまった余分な熱を取り除くのに役立ちます。
「イベントだから食べる」のではなく「この時期に必要だから食べられてきた」という視点が加わると、伝統行事や旬の食材がぐっと身近に感じられるのではないでしょうか。
「今どきの子どもたちはかしわ餅よりショートケーキが食べたいと言うかもしれません。でも、行事食の意味を知り、親から子へ、その知恵を受け渡していくことが大切です。」(伊藤先生)
伊藤先生が、「まずは知るところからはじめて」というのは、その“行動にある意味”を大人がきちんと理解し、次の世代へ手渡していくことの大切さを説いているのです。
養生を続けるコツ—「知る」から「つながる」へ
さて、最後に養生を続けるコツについてお伝えします。
伊藤先生が養生の実践で重視するのは、地域の人々との関わりです。
「私の活動は地域にいる方々を主人公にしながらやっています。たとえば山菜を取りに行くときは、地域の山菜取りの名人に案内してもらい、料理も地元の方々にお願いするようにしています。」(伊藤先生)

この方法には深い意味があります。一人で行う健康法は「自分のため」という動機だけでは続きにくいもの。しかし地域との関わりでは、「来週もあの人が来てくれるから、ちゃんと野菜を育てておこう」「次に喜んでもらうために季節の料理を準備しよう」といった外部からの動機づけが生まれます。
「地域の方々はよく『こんな当たり前なことに意味があるの?』と言います。でも都会から来た人たちは『こんなにおいしいんだ』『こんな食べ方があるんだ』『こんな意味があったんだ』と、すごく共感してくれるんです。」(伊藤先生)
この相互作用が養生を実践に導き、自然と長続きする習慣へと発展させるのです。養生の効果を得るには継続が不可欠—そして継続の秘訣はまさに「つながり」にあるのです。
養生の実践に向けて
森での五感の活性化、季節の変化への敏感さ、二十四節気の活用、旬の食材の取り入れ—これらの要素は、日本の養生の知恵の核心です。伊藤先生が強調するように、こうした知恵を「知る」ことから始め、実践し、次の世代へと伝えていくことが、現代における養生の継続につながります。
森と季節の恵みを感じながら、人とのつながりの中で養生を実践する—そんな日本ならではの健康観が、現代社会にも新たな価値をもたらしているのです。
次回は「企業と地域が取り組む養生 ─ 社会的健康への新しいアプローチ」と題し、企業や地域社会における具体的な取り組みについて、さらに掘り下げていきます。

Nature Serviceのウェブメディア NATURES. 副編集長。
自然が持つ癒やしの力を”なんとなく”ではなく”エビデンスベース”で発信し、読者の方に「そんな良い効果があるのなら自然の中へ入ろう!」と思ってもらえる情報をお届けしたいと考えています。休日はスコップ片手に花を愛でるのが趣味ですが、最近は庭に出ても視界いっぱいに雑草が広がり、こんなはずじゃなかったとつぶやくのが毎年恒例となっています。