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ある日の部署会議。上司がおもむろに口を開く。「うちもネイチャーポジティブとTNFD、やることになった。君、担当ね」。

手元のメモには、聞き慣れないカタカナが並ぶ。ネイチャーポジティブ。TNFD。LEAP。30by30。自然共生サイト。検索するほど用語が増え、SDGsやESG、TCFDとの関係もよく分からない。「何から手をつければいいのか」。

この戸惑いは、今、全国の企業のサステナビリティ部門や経営企画部門、そして自治体の環境部門や企画部門で、新しく担当になった方が共通して抱えているものだ。この記事の目的はただひとつ。来週から動き出せる「最初の一歩」を、できるだけシンプルな形で示すことだ。

まず押さえたい、7つの用語の「4つのレイヤー」

カタカナが増殖しているように見えて、実は7つの用語は「4つのレイヤー」に整理できる。

[図: 7用語の4レイヤー整理図(向かう先 / 評価 / 経営 / 見える化)]
  • 向かう先(ゴール): SDGs、ネイチャーポジティブ
  • 評価軸(投資家の見方): ESG
  • 経営スタンス(会社としての構え方): CSR、CSV
  • 見える化の枠組み(開示): TCFD、TNFD

地球全体が「どこへ向かうか」を示したのがSDGsとネイチャーポジティブだ。2030年までに世界の生物多様性の損失を止め、回復軌道に乗せる(昆明・モントリオール生物多様性枠組、2022年)。その向かう先を投資家が「評価する観点」にしたのがESG。そのESG評価に応える企業の「経営の構え方」がCSRとCSVだ。そして、その取り組みを投資家や社会に「見える化する枠組み」として、気候はTCFD、自然はTNFDがある。

つまりTNFDは、「これまでのSDGs・ESG・CSR・TCFDとは別物」ではない。同じ取り組みに、自然という新しいレイヤーを加える作業だ。この地図を持てば、新任担当者の心理的な負担は一気に軽くなる。

最初の90日でやる、7つのこと

ここからが実務だ。企業・自治体の新任担当者が、3カ月で動き出すための7ステップを示す。

共通の3ステップ

1. 上司・経営層への説明資料を作る

最初の仕事は、組織のトップに「なぜ今、動く必要があるか」を伝えることだ。根拠は3つ揃っている。①日本政府は「生物多様性国家戦略2023-2030」(第1部第3章)で2030年までのネイチャーポジティブ実現を明記している(環境省, 2023年)。②環境省、農林水産省、経済産業省及び国土交通省の4省が2024年3月に「ネイチャーポジティブ経済移行戦略」を策定し、さらに2025年7月には環境省が「ネイチャーポジティブ経済移行戦略ロードマップ(2025-2030年)」を公表している(環境省, 2025年)。③MS&ADやキリンといった主要企業は既に統合報告書でTNFD開示を始めており、取引先への情報要請も広がっている。これは「やるかどうか」ではなく「いつやるか」の局面に入っている。

2. 公的資料を「3つだけ」読む

情報を広く集めるより、一次資料を3つ読んだほうが早い。TNFDの「LEAPアプローチ日本語ガイダンス」(TNFD, 2023年)、環境省の「TNFD情報開示に向けた準備、ステップの解説」(環境省)、そしてネイチャーポジティブ経済移行戦略ロードマップ。この3点で、実務の地図は揃う。

3. 「粗い棚卸し」から始める。完璧な定量化はしない

着手初期によくある失敗が、最初から細かい数値化に踏み込むことだ。TNFDのLEAPアプローチは Locate(場所の特定)→ Evaluate(依存・影響の評価)→ Assess(重要性の判定)→ Prepare(対応の準備)という4段階だが、公式ガイダンスも環境省資料も「スコーピング段階では詳細分析に工数をかけ過ぎない」ことを重視している。自社・地域の主要な「自然との接点」を3〜5テーマに絞る。それだけで十分だ。

企業担当者に特有の2ステップ

4. バリューチェーン × 場所のマトリクスを描く

自社の事業活動が、どの地域で、どの自然資本に依存し、影響を与えているか。これを粗くマッピングする。キリンホールディングスは、スリランカの紅茶農園などを優先地域として特定し、LEAPアプローチによる自然資本の分析・評価を実施している(キリン, 2025年)。多くの企業に共通する課題は、調達データ自体は保有していても、それが「どの国のどの生態系由来か」という場所情報と紐づける作業に時間がかかることだ。ここが最初の山場になる。

5. 既存のTCFD・CSR・環境データをTNFDの視点で並べ直す

水使用量、森林認証比率、原材料の調達地、土地利用。多くの企業は既にこれらのデータを持っている。新しく測り始めるのではなく、「自然資本との関係」という視点で既存データを並べ直す。これだけでTNFDの入口に立てる。

自治体職員に特有の2ステップ

6. 生物多様性地域戦略・総合計画との接点を整理する

自治体の場合、新規施策としてゼロから立ち上げるより、既存の生物多様性地域戦略や総合計画の中に「ネイチャーポジティブ」の軸を追加する方が現実的だ。日本自然保護協会の「地域のネイチャーポジティブに向けた実践ガイド」は、現状評価→施策・目標の検討→実践→モニタリングという流れで進める4段階のプロセスを示している(日本自然保護協会, 2025年)。

7. 30by30アライアンス参加と、自然共生サイト候補地の洗い出し

2030年までに陸と海の30%以上を保全する「30by30」目標に基づき、公有林、都市公園、社寺林、企業林などが「自然共生サイト」として登録される仕組みが動き始めている(環境省)。もちろん、地権者との合意形成や議会承認を考えると、いきなり外部へのコミットメントに動くのは難しい自治体も多い。その場合は、まず庁内で候補地のたたき台リストを作成し、関係部局と共有するところから始める。90日目に「アライアンス参加の判断」に到達していなくても、そこまでの資料が揃っているだけで、次のフェーズは一気に加速する。


たしかに、組織の規模や業種によっては、90日で7ステップすべてを完遂するのは難しいかもしれない。中小企業や専任担当のいない自治体では、まずは共通の3ステップだけに着手する、という段階的な進め方でもよい。大切なのは「3カ月で完走すること」ではなく、「3カ月のあいだにどこか一歩を踏み出していること」だ。

先人に学ぶ、4つの「つまずき」

WWFジャパンが2024年に日本企業65社のTNFD開示をレビューし、2025年に公表した報告書『2024年TNFD開示の潮流と日本企業の対応状況』や、先行企業の公表資料から、共通して見える落とし穴は4つだ(WWFジャパン, 2025年)。

1つ目、SDGs/ESG/CSRと別物として構えすぎる。先ほどの「4つのレイヤー」の通り、TNFDは既存の取り組みの拡張だ。ゼロから立ち上げる重い仕事と思い込むと、最初の一歩が重くなる。

2つ目、いきなり完璧な定量化を目指して頓挫する。マテリアリティ評価や指標設定に時間をかけ過ぎ、開示が薄くなるパターンはWWF調査でも指摘されている。まずは粗いパイロットを形にして、そこから磨く。

3つ目、TCFDと別々に対応して疲弊する。MS&ADは2025年10月に「TCFD・TNFDレポート2025」を発行し、気候と自然を一体で扱う統合的な開示を行っている(MS&AD, 2025年)。ここで、「気候はGHGというグローバル共通指標、自然はローカルで個別性の高い指標。安易に統合すると自然特有の場所固有の課題を見落とす」という専門家の指摘もある。その反論は正しい。ただし現場の第一歩としては、ガバナンス・戦略・リスク管理・指標といった共通の骨格部分から一体で捉えはじめ、自然特有の分析は徐々に解像度を上げていく進め方が、担当者の負荷と社内理解のバランスを取りやすい。

4つ目、環境部門だけで抱え込んで孤立する。先行事例や専門機関のガイダンスでは、「環境部門だけで抱えると、自然保護活動や一部のCSR活動で終わってしまう」という指摘が繰り返されている(三井物産 TNFDコラム)。経営企画・事業部門・リスク管理・財務を巻き込むことが、実効性の分かれ目になる。

なぜ今、動く価値があるのか

ここまで読んで、「やることは分かった。でも、なぜ今なのか」と感じる方もいるかもしれない。

ネイチャーポジティブ経済への移行は、規制対応のコストではない。事業と地域の競争力そのものだ。政府のロードマップは2025〜2030年に重点的に進める施策の道筋と、期間ごとの取り組みイメージを示している。先に動き出した組織ほど、市場・金融・人材の面で優位に立つ構造になっている。

そして何より、ネイチャーポジティブは「自然を守る活動」にとどまらない。企業にとっては事業の持続可能性そのもの、自治体にとっては地域の魅力と誇りの源泉だ。Nature Service が全国のキャンプ場や自然体験施設を運営しながら実感するのは、自然との関わりを事業や地域の中核に据えたとき、人材育成・観光・ブランディング・地方創生まで、すべてが自然につながっていくということだ。「負担」ではなく「きっかけ」として位置づけ直せたとき、取り組みは動き始める。

次の一歩

最後に、この記事を閉じたあと、来週から動き出すための3つの行動を置いておきたい。

1つ目、本文で紹介した公的資料のうち、自分の立場に近い1本を読む。企業担当者ならTNFDのLEAP日本語ガイダンス、自治体職員なら自然保護協会の実践ガイドから。

2つ目、社内・庁内で仲間を1人見つけ、「一緒にやりませんか」と声をかける。環境部門・サステナビリティ部門だけで抱えず、経営企画・事業部門・地域振興部門の誰かと組む。これが4つ目のつまずきを避ける最短ルートだ。

3つ目、NATURES. の今後の連載で、各テーマを一段深く学ぶ。次回以降、第2回「TNFD LEAPアプローチ実践編」、第3回「30by30と自然共生サイト」、第4回「先行企業の事例分析」を予定している。

「担当ね」と告げられた日、戸惑うのは自然なことだ。しかし、この分野は今まさに、日本全体で地図を描きはじめた段階にある。完璧な先例を探すより、組織の中で小さく動き出すこと。そこから次の景色が見えてくる。

Nature Service は、自然体験の現場と、制度・経営・地域づくりの接点から、この対話を続けていきたい。ネイチャーポジティブや自然を活かした法人研修・地域連携にご関心のある方は、ぜひ一度ご相談くださいませ。