1年を通して、アウトドアに出かける人が増えてきました。キャンプ、ハイキング、ウォータースポーツ、サイクリング、登山など、各自が目的を持ちながら自然と共に楽しい時を過ごしていることと思います。

そんな楽しいアウトドアですが、自然にはリスクが潜んでおり、それぞれがそのリスクを背負って遊んだり活動したりしているということを、一体どのくらいの人たちが認識しているでしょうか?

今回は、登山家であり、Thompson Rivers University の教授でもあるJon Heshka氏の記事「The Risk and Responsibility of Being a Climber」を参考に、自然環境におけるリスクと、個々の責任について一緒に考えてみましょう。

”自分は大丈夫”ではいけない

危険なアウトドアはしないから、初心者向けのハイキングコースだから、人の手が加えられたキャンプ場だから、去年は大丈夫だったから、たくさんの人が同じことをしているから、という”自分は大丈夫だろう”という思い込みはやめましょう。自然のなかで遊ぶ以上、リスクが潜んでいることをまずはしっかりと認識することが大切です。

アウトドアの種類によってリスクの程度やタイプは異なりますが、遭難、転落や転倒、落石、天候の急変、低体温症、熱中症、動物や昆虫の存在など、挙げればきりがないほど自然のなかにはさまざまなリスクが潜んでいます。

”自己の責任”において行動を

少し極端な例を挙げますが、たとえばロッククライミング。岩をよじ登る姿からも想像がつくとおり、明らかに危険がつきまといます。にもかかわらず、記事のなかではこんなことが紹介されていました。

  • オーストラリアで登山中にボルトが破損。登山者が命を落としたため裁判へと発展。
  • 登山者が落下してケガをし、クライミングジムが訴えられた。
  • 下山中に登山者が命を落とし、国立公園が訴えられたetc……。

それぞれのケースに事情があったこととは思いますが、特にロッククライミングなどは危険と隣り合わせであることが一目瞭然であるにもかかわらず、近年、ケガなどといった自らに不都合な事が生じると、物事の本質(ケガをした原因)を見極めることなく訴訟に向かう傾向があるそうです。

また、クライミングジムで(ケガをしないように)行われている安全対策や設置されているセーフティーネットが、実際の山や険しい岩山にもあるかのような意識が無意識に働いている可能性も指摘されており、リスクそのものを否定するかのような考え方が垣間見えると言います。

リスクの排除は不可能

いずれにせよ、上記にあげた訴訟の多くは失敗に終わったそうですが、訴訟を起こした人が多々いるということは、「何か厄介ごとが発生したら補償を受ける権利があると思っていた」という事実に変わりはありません。

Jon Heshka氏は記事のなかで、人の手で制御できない場所(自然環境)にはケガや命を落とすリスクが必ず存在し、それらを管理し最小限に抑えることはできても、完全な排除は不可能である、という趣旨のことを述べています。

そして、こんなことも言っています。
「もし、危険にさらされることなく過ごしたいなら、アウトドアをすべきではない。屋内にとどまり、ただただ退屈な日々に身をゆだねればいい。そうすればケガをすることはないでしょうから。しかし、クライミングという経験が与えてくれる独立心、自立心、素晴らしさや知恵を得ることも決してないでしょう」と。

今回は、クライミングという明らかに危険を伴うアクティビティを例として挙げましたが、すべてのアウトドアアクティビティにおいて、リスクは必ず存在します。アウトドアに出かける/出かけないはもちろん個人の自由ですが、仮にアウトドアに出かけることを選択した場合、リスクをしっかりと認識し、自らの責任のもとで活動する必要があるということなのです。

アウトドアには四季を通してさまざまな楽しみ方があります。特に春から秋までは、キャンプ場や水辺、登山などに行く人も増える季節となります。気を引き締める意味も込めて、自然のリスクと責任について改めて考える機会としていただければ幸いです。

次は、退職した登山レンジャーの考えを参考に、「先人の教えから学びたい 自然のリスクと個々の責任」と題して、今回同様、自然環境に存在するリスクと自己の責任について考えてみたいと思います。

《参考URL》
The Risk and Responsibility of Being a Climber|GRIPPED
Jon Heshka(意訳:菊地薫)

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