みなさんには、子供の頃の出来事の中で覚えている不思議な体験はありませんか?
大人になった今でもそのことを思い出すとあれは幻だったのでは…と思ってしまうようなものを見た、聞いたなどの経験が子供の頃にあったという人は多いのではないでしょうか。

大人にどんなに説明しても見間違いや怖い夢のせい、などとあしらわれ、信じてもらえずに自分の胸の中にしまい込んだ記憶。大人が常識的に考えればありえないようなことですが、子供は大人には見えない何かが見えているのかもしれません。

今回はそんな子供の目線と自然との触れ合いに注目してみたいと思います。

子供の見間違い?

私も子供の頃いくつか不思議な体験をしました。
ここではそのうち2つの体験を書かせていただきます。

巨大なフクロウ

小学校2年生の時の下校中、面白半分で普段の通学路から外れて田畑や森に面している農道を歩いて帰宅している時のことでした。

ふと森の方に目をやると巨大なフクロウがいて私をじーっと見ているのです!

道を歩いている私との距離は5~6mくらい体長は3mで見上げるような大きさであったと思います。少しの間目が合い、子供だった私は「食べられちゃう」と思い、全力で走って逃げたのですが追いかけてはきませんでした。帰宅後、家族にこの事を話しましたが笑われるばかりで、まったく信じてもらえませんでした。

とっておきの場所

小学校3年生くらいの頃、3つ上の兄と二人で山に釣りに出かけた時のことです。
森の中を流れる沢(山から流れてくる幅5~6m程度の川)でイワナ釣りをしていましたが、その日はまったく釣れ頻繫に場所を変えていました。その途中でどんどん上流へと進んでいく兄を見失ってしまい、一人になった私は必死に探しながら追いかけていました。

そしてしばらく沢を登っていくと、いつの間にか流れがほとんどなく水面が鏡のように森の木々を反射して映し出している不思議な感じのする場所に出ました。そこはしーんと静まり返りまるで時間が止まったかのような光景で「わあ、すごい綺麗な場所」と思う反面、一人で異世界に迷い込んでしまったようで「怖い」という気持ちもありました。

それでも私は「とっておきの場所を見つけた!」と有頂天になっており、その日の夜に兄と両親にそこで見た風景の話しをするのですが「そんな場所はなかった」や「ただの見間違い」と信じてもらえませんでした。次の日学校で友人に話すと放課後みんなで行ってみようということになり山に入ったのですが、どういう訳か「そのとっておきの場所」に行き着くことができませんでした…。

二つとも少し怖い話し風になってしまいましたが、今思い出すとその巨大なフクロウの色と大きさは、スタジオジブリの映画「となりのトトロ」のトトロに近いものがありました。大人になった今、そんなことはありえないと理解できるのですが、記憶にはしっかりとあるのです。

子供の純粋な感性

よく子供の頃は夏休みにおじいちゃん、おばあちゃんの家に行っていたけど、大人になってから久しぶりに遊びに行った場合「この家もっと大きくなかった?広くなかった?」と感じることがあると思います。

これは子供の時と大人になってからの体の大きさや目線の高さが違うので、見え方や感じ方の違いがうまれるためだと大人は理解できます。しかし、子供には「分からないから想像する」という感性があるのだと思います。

例えば大人にとっては「ちょっとした林」であっても子供にとっては「延々と続くジャングル」に見えているかもしれません。子供の見方ではキャンプは狩猟を伴うサバイバル生活のように見えているのかもしれません。子供の純粋な感性で作り出されるイマジネーションは大人のそれ以上にいろいろなものを感じさせてくれるのだと思います。

ちなみにスタジオジブリの映画「となりのトトロ」のトトロは子供のときにしか会えない不思議な生き物として描かれています。私はこの“子供のときにしか会えない”という設定は子供の純粋な感性を通してでしか見ることができないということなのでは?と想像してしまいます。ついでに申しますと、埼玉県狭山丘陵トトロの森は、散策地としてもオススメです。

成長とともに失われていく純粋さ

物事を知って理解するということは、人間にとってひとまずのゴールになります。そこにはもう「分からないから想像する」はありません。想像する必要がないということは、想像するための材料を子供の純粋な感性で感じ取る必要もなくなります。

成長し体も大きくなるにつれ目線の位置も高くなり、物事を知って理解する能力が自然に備わります。子供が大人になるということは生き方が変わるということなのかもしれません。

いずれ子供の純粋な感性が失われていくのは少し残念ですが、成長し大人になるためには必要不可欠なことです。自分以外の誰かと関わり合いながら生きていくためには、物事を知って理解することを欠かすことはできません。子供の頃の自然に触れて体験したことをそのまま大切な思い出としてしまっておき、時々じっくりと思い出し、浸ってみるのもいいのかもしれません。

まとめ

今回は「子供の純粋な感性を通してしか見ることのできない世界」が自然界にたくさん存在している可能性について書かせていただきましたが、いかがでしたでしょうか。
簡単に内容を振り返ります。

  • 私の子供の頃の不思議な体験を2つ
  • 子供の純粋な感性
  • 成長とともに失われていく純粋さ

森の中では大人でさえ一瞬の見間違いで○○が△△に見えることや、良く知った景色でも日の当たり具合などで見え方や印象が大きく変わることがあります。

子供であればなおさら空気感や匂い、音などを敏感に感じ取りイマジネーションを膨らませ、大人には見えない「となりのトトロ」の世界のようなファンタジーを見ているのかもしれません。

森林公園の散策やキャンプなどのアウトドアで自然に触れる際、お子さんが何かをじっと見つめている瞬間があったら、そっと「どうしたの?何かいるの?」と質問してみてください。「となりのトトロ」のサツキとメイのお父さんのような優しさで「そうなんだ~、もしかして○○かな?」のようにじっくりと聞いてあげてくださいね。

アウトドアでの楽しい親子のコミュニケーションとしてみてはいかがでしょうか。

コメントを残す