マインドフルネスを続けているのに、何かが変わった気がしない。そんな経験はありませんか。
私も以前、アプリを使って、マインドフルネスの瞑想を何日続けたかを記録していました。アプリを開くと、「27 日目」のような続けた日数が、いちばん先に目に入ります。瞑想している間は、気持ちが落ち着いていました。日数も増えていきました。それでも、自分が変わってきたという実感はなく、やめてしまいました。
マインドフルネスを続けた結果は、いつ出るのでしょうか。調べてみると、答えはばらばらです。
どうして、答えがこれほどばらばらなのでしょうか。
この記事では、その理由を探るために、まず、よく目にする数字が何を測ったものなのかを確かめます。次に、マインドフルネスのもとの言葉が何を指していたのかにさかのぼります。そのうえで、効果が出たかどうかを確かめる代わりに、毎日のマインドフルネスの実践で何に目を向ければよいのかを考えます。
その前に、マインドフルネスという言葉の意味を確かめておきます。心理学の研究者クレーゲローは、心理学の文献で最もよく引かれる定義の一つとして、ジョン・カバットジンの定義を、次のように引いています。
次のようなやり方で注意を向けること。意図的に、いまこの瞬間に、評価を加えずに。 (Krägeloh 2018: 87 頁 拙訳)
では、マインドフルネスを続けた結果について、よく目にする答えを見てみましょう。
※本記事は哲学的な視点からの考察であり、医療的な助言ではありません。
マインドフルネスを続けた結果はいつ出る? 答えはばらばら
効果が出るまでの期間を調べてみると、2 週間という答えもあれば、10 年以上という答えもありました。
| 項目 | 答え |
|---|---|
| 効果が出る までの期間 | 2 週間、4 週間、8 週間、 2 か月、半年、8 か月、 7 年、10 年以上 |
| 1 回に 何分やるか | 1 分から 1 時間まで |
期間の根拠には研究が挙げられることもあり、なかには脳の働きを調べた科学的な研究もあります。
どの答えが正しいかは、ここでは問いません。目を向けたいのは、答えの幅の大きさです。答えが 2 週間から 10 年以上まで開いているなら、効果を感じられない理由を「続けた日数や時間が足りないから」とは言い切れなくなります。
はじめにたずねた「どうして答えがばらばらなのか」への答えは、何を「効果」と呼んで測っているかが、そもそも違うからかもしれません。
何を効果と呼ぶかがそろっていなければ、「何日続ければ効果が出る」という目安も決まりません。つまり、アプリの「〇日目」は、効果が出る日の目安にはならないのです。
手がかりになるのは、期間の根拠として挙げられていた研究です。研究はそもそも何を「効果」として測っていたのでしょうか。

研究が測った「効果」は何種類もあり、あなたが求めていた変化とはかぎらない
マインドフルネスの効果を調べた研究はたくさんあり、医学の主要な雑誌にも載っています。何もしない場合と比べれば、効果はくり返し確かめられてきました。長年瞑想を続けてきた人は脳の働きが違っていた、という話を知ったことが、私がマインドフルネスに興味を持ったきっかけでした。
続けるだけで効果が得られるなら、やる価値はあります。それでも、私自身、毎日の生活で変化を実感することはできませんでした。
ここでは、効果が確かめられた研究も、確かめられなかった研究も、あわせて見ていきます。
研究は、比べることで効果を確かめている
研究の多くは、参加者をランダムに、マインドフルネスを実践する組と、実践しない組に分けます。実践しない組には、何もしない組と、別の活動をする組があります。ランダムに分けておけば、年齢や生活習慣といった参加者のもともとの違いが、組の間で偏りにくくなります。そのため、結果に差が出れば、それはマインドフルネスによる差だと考えられます。
ここで大事なのは、何と比べたかです。何もしない組より良い結果が出ても、別の活動をした組と比べて良い結果が出るとは限りません。
何を「効果」とみなすかも、研究を始める前に決めておきます。結果を見てから都合のよい項目を選べないようにするためです。研究でいう「効果」とは、研究を始める前に定めておく、もっとも重要な測定項目のことです。
一つの研究だけでは、参加者の数や条件によって結果がぶれます。そこで、同じ問いを調べた研究を集めて、まとめて分析した論文もあります。この章では、そうした論文と一つひとつの研究の両方を、規模を添えて紹介します。
心・体・眠り・記憶・脳で見る、主な研究の結果
主な研究を、心・体・眠り・記憶・脳の領域ごとに比べてみたところ、研究の数にも結果にも、領域によって大きな差がありました。
いちばん研究が多いのは、不安や抑うつ、心理的な苦痛といった心の領域です。136 件の研究をまとめた論文があり、参加者は 1 万人を超えます。反対に、眠りと記憶では差が出ず、脳では 2 件の結果が分かれました。ただ、同じ「差なし」でも重みは違います。眠りは 20 件の研究をまとめた論文ですが、記憶は 1 件の研究です。
不安や抑うつ、心理的な苦痛、ストレスの研究で「減った」というのは、多くの場合、参加者が答えたアンケートの点数が下がったという意味です。アンケートでは、いくつもの質問に 1〜5 などの段階で答え、その合計を点数にします。説明のために例を挙げると、「この 2 週間で、落ち着かない気分になることはどのくらいありましたか」といった質問です。
血圧の研究では、診察室で測った血圧はリラクセーションの組より大きく下がったのに、ふだんの暮らしの中で測った血圧には差が出ませんでした。著者は、静かな部屋で座っているときには学んだことを生かせても、ふだんの暮らしの中では生かしきれなかったのかもしれない、と書いています (Psychosomatic Medicine: 2013)。
脳の構造を調べた 2 件の研究は、結果が分かれました。ヘルツェルらの研究では、海馬など脳の一部で灰白質(かいはくしつ)の濃さが増えましたが、クラールらの研究では変化が見られませんでした。2 件は、参加した人数も、比べた相手も違います。ヘルツェルらは 16 人と 17 人で、研究の間はマインドフルネスをしない組と比べました。クラールらは 2 つの研究を合わせた 218 人で、別の活動をする組と何もしない組の 2 つを比べる相手に置いていました。人数が多く、比べる相手も多かったのは、変化が見られなかったクラールらの研究のほうです。どちらの結果をどう受け取るか、表を見比べて考えてみてください。
研究ごとに異なる「効果」と、変化が約束されない理由
マインドフルネスに効果があることは、研究によって確かめられています。けれども、続ければあなたが求めている変化が起こるという保証はありません。
まず、何を「効果」と呼ぶかが研究ごとに違います。研究を始める前に決めておく項目を明示していた論文と研究 5 本では、項目の名前が 8 通りに分かれていました。
次に、差の大きさは比べる相手で変わります。ゴールドバーグらが研究をまとめた論文 44 本を見直したところ、マインドフルネスは何もしない組にはほとんどの項目で上回ったものの、別の活動をした組との差は小さく、はっきりしないことが多かったといいます (Perspectives on Psychological Science: 2022)。
そして、研究が示すのは組の平均で、一人ひとりに同じ変化が起きるとは限りません。
アプリが数えているのは、アプリを開いた日数です。日数を「27 日目」と数えても、期待している効果が見られるわけではありません。

マインドフルネスとは、いまを思い出すこと? もとの言葉をたどる
続ければ求めている変化が起こるという保証はない、と聞くと、やる意味がないように思えるかもしれません。けれども、保証がないからといって、やる意味がないことにはなりません。
やる意味があるかどうかは、結果が約束されるかどうかだけでは決まらないからです。その前に、そもそもマインドフルネスが何をすることなのかを知っておく必要があります。ここからは数字を離れて、言葉のもとをたどります。マインドフルネスの定義はたくさんあり、冒頭で紹介したのは、そのうちの、心理学の文献でよく引かれる一つです。ここでは、2 人の僧がもとの言葉をどう解釈しているかを紹介します。
もとの言葉「サティ」は、何を指していたのか
マインドフルネスは、初期の仏教経典に出てくる sati(サティ)という言葉の英訳の一つです。サティパッターナと呼ばれる瞑想を主題に博士論文を書き、自身も瞑想を実践する僧のアナーラヨによると、sati は「思い出す」という動詞につながる言葉です(Anālayo 2003: 第 3 章 §III.2, 46 頁 拙訳)。
「思い出す」と聞くと、記憶の話のように思えます。実際、1936 年からスリランカで僧として暮らしたニャーナポニカ・テーラも、sati はもともと「記憶」を指す言葉だったと書いています。ところが仏教、とくにパーリ語の経典では、過去を思い出すという意味で使われることは少なくなり、sati はたいてい「いま」を指すといいます(Nyanaponika 1962: 序論, 3 頁 拙訳)。
冒頭で紹介した定義にも、「いまこの瞬間に」という言葉がありました。けれども、もとは記憶を指していた言葉が「いま」を指すというのは、少し不思議に思えます。
もとは記憶を指す言葉が、なぜ「いま」を指すのか
この点について、アナーラヨは経典の定義に注目しています。経典は sati を、ずっと前にしたことや言ったことを思い出す力と結びつけて定義しています。けれども、よく見るとその定義は、sati を記憶そのものとしてではなく、記憶を助け、はたらかせるものとして定めている、とアナーラヨは解釈します。sati があれば、記憶がうまくはたらく、というのです(Anālayo 2003: 第 3 章 §III.2, 47 頁 拙訳)。
たとえば、昨日の会議で誰が何を言ったかを思い出せるのは、その場で話にきちんと注意を向けていたからです。上の空で聞いていた話は、あとで思い出そうとしても出てきません。思い出す力を支えているのは、その場で気づいていること、と言い換えられそうです。
アナーラヨは、sati をこのように理解すると、サティパッターナの瞑想と結びつけやすくなると書いています。そこでの sati は、過去の出来事を思い出すことではなく、いまこの瞬間に気づいていることとして働く、というのです(Anālayo 2003: 第 3 章 §III.2, 47 頁 拙訳)。続けてアナーラヨは、sati が思い出させるものを、次のように書いています。
サティパッターナの瞑想では、sati があるからこそ、それがなければあまりにもたやすく忘れてしまうもの、つまりいまこの瞬間を思い出すことができる。 (Anālayo 2003: 第 3 章 §III.2, 47〜48 頁 拙訳)
もっとも、アナーラヨは同じ節で、sati はその瞬間を受けとめるだけでなく、あとでそれを心に呼び戻すためにも必要だ、とも書いています(Anālayo 2003: 第 3 章 §III.2, 48 頁 拙訳)。
sati の「思い出す」には、あとで過去を思い出すことと、つい忘れてしまう「いま」を思い出すことの、両方が含まれていることが分かります。この二つは、別々のものではありません。会議のたとえのように、あとで思い出せるのは、その場で気づいていたことです。会議の途中で上の空になっていても、「あ、話を聞いていなかった」と気づいて注意を戻せれば、そこから先の話は覚えていられます。この「あ」が、「いま」を思い出すことに近く、それが、あとで思い出す力のもとになっている、とこの記事では考えています。
ただし、2 人が本の中で書いているのは、いまに気づくことだけではありません。どちらの本でも、サティパッターナの瞑想が最後に目指すのは、悟りや、苦しみから完全に抜け出すことです(Anālayo 2003: 第 14 章 §XIV.1・Nyanaponika 1962: 序論, 2 頁 拙訳)。この記事では、そこへ向かう道のりの中の「いまこの瞬間を思い出す」という一点に絞って話を進めます。
ふだんの私たちは、どれくらい「いま」から離れているのか
アメリカの研究者は、成人 2,250 人のスマホに、起きている時間のランダムな時刻を選んで一日数回通知を送り、そのたびに、いま何をしていて何を考えているかを尋ねました。その結果、寄せられた回答の 46.9%(ほぼ 2 回に 1 回)で、答えた人はしていることとは別のことを考えていました (Science: 2010)。
この調査でスマホは、質問を届けて回答を受け取る道具として使われただけで、通知が注意をさえぎるかどうかは論文の対象ではありません。ただ、私たちが毎日手にしているスマホは、通知によって、私たちの注意を「いま」から引き離すこともあります。
たとえば、旅行先で美しい景色の前に立っているのに、届いた通知が気になって、ついスマホの画面ばかり見ていたとします。家に帰ってから旅行を振り返っても、その景色はぼんやりとしか思い出せないかもしれません。会議のたとえと同じように、その場で気づいていなかったことは、あとから思い出すのが難しいからです。途中で「あ、スマホばかり見ていた」と気づいて顔を上げていれば、そこから先の景色は覚えていられたのではないでしょうか。
通知で注意がそれたときに、それに気づいて「いま」に戻ってくること。この「いまこの瞬間を思い出す」ことは、通知の多い毎日の中で、役に立つスキルではないでしょうか。ここで言う「役に立つ」は、続けた先に効果が得られたという意味ではありません。思い出せたその場で、もういまに戻れている、という意味です。
ここまで読むと、マインドフルネスに結果を望んで始めたこと自体が間違いだったように感じるかもしれません。
結果を望んで始めるのは間違いではない。ただ、始めたら結果は追わない
たとえば、こんな望みを持って始めた人もいるかもしれません。
- 布団に入って 30 分以内に眠れること
- 会議で言い返さずにいられること
- 日曜の夕方に、月曜のことを考えずにいられること
どれも、まっとうな望みです。
ニャーナポニカは序論で、サティパッターナを説いた経典の冒頭を引いています。そこには、この瞑想の目的は、悲しみや嘆きを乗り越え、痛みや憂いをなくすことだと書かれています。ニャーナポニカは、それこそ誰もが願うことではないかと問いかけ、苦しみから完全に抜け出すのは、一人ひとりにとってはまだ遠い先のことかもしれないが、そこへの道ははっきり示されている、と続けます(Nyanaponika 1962: 序論, 2 頁 拙訳)。少なくとも序論では、苦しみから抜け出したいという願いは、誰もが持つものとして受けとめられています。
ただし、マインドフルネスの実践への向き合い方については、はっきりと線を引いています。ニャーナポニカは、マインドフルネスの実践に「神秘的な体験」や安っぽい感情的な満足を期待せず、最初に真剣に心を決めて始めたら、あとは先の成果に思いをめぐらせてばかりいたり、結果を急いだりしないように、と呼びかけています。そして、本の中で説明していくごく簡単な練習に、熱心に、冷静に、ひたすら注意を向け、初めのうちは、その練習そのものを、マインドフルネスと集中を強めるための技法として目的とみなすように、とまで書いています(Nyanaponika 1962: 85 頁 拙訳)。
たとえば、瞑想しながら「今日は効いたかな」「あと何日続ければ変わるだろう」と考えるとしましょう。これが、先の成果に思いをめぐらせている状態だ、と解釈できます。そのたびに、注意は目の前の練習から、まだ来ていない先のほうへ移ってしまいます。毎日「変わったかどうか」を確かめるのも、同じことです。
進み具合をどう見ればよいかについては、アナーラヨが、経典にある手斧のたとえを紹介しています。
経典によれば、一日の実践でどれだけの煩悩が取り除かれたかを、正確に測ることはできない。大工が、一日使っただけでは手斧の柄がどれだけすり減ったかを測れないのと同じである。それでも、大工が使い続けるうちに柄のすり減りに気づくように、瞑想する人も実践を重ねるうちに、煩悩が弱まり、取り除かれつつあることに気づく。 (Anālayo 2003: 第 14 章 §XIV.1 拙訳)
同じ節の終わりでアナーラヨは、マインドフルネスの進み方を説明しています。それによると、たいていの人は、進んだり戻ったりをかなり大きな幅でくり返します。けれども、そのくり返しを長い目で見ると、ゆっくりと、しかし一貫して成長していることが見えてきます。そして、いつか突然の悟りに至る見込みも、しだいに高まっていくというのです(Anālayo 2003: 第 14 章 §XIV.1 拙訳)。
ここでいう進み具合は煩悩(心のけがれ)の減り具合で、日ごとには測れなくても、マインドフルネスの実践を重ねるうちに自分で気づけるものとされています。アプリで確かめたい効果と同じではありませんが、一日ではなく長い時間で見る、という見方は借りられそうです。
では、日ごとの進み具合は測れないとすれば、毎日の実践では、どこに目を向ければよいのでしょうか。
関連記事:不安が消えないのはなぜ? 哲学が教える「不安の正体」と自然の中での向き合い方
結果の代わりに見るのは、注意がそれたことに気づくまでの速さ
手がかりは、ニャーナポニカが本の中に書いた、瞑想の手引きにあります。ビルマ(現在のミャンマー)で開かれていた瞑想のコースについてのもので、その中に、注意がどれだけ機敏になってきたかを見る、次のような目安があります。
注意の途切れに、起きてすぐ気づいたか。それとも、元の気づきの対象に戻るまでに、雑念などに流されていたか、流されていたならどれほど長くか。そこに注意を払う。途切れにはすぐ気づき、そしてすぐ元の対象に戻ることを目指す。これは、増していく機敏さを測る目安とみなしてよい。 (Nyanaponika 1962: 94 頁 拙訳)
この目安は、本の中では一日じゅう瞑想を続ける集中的な実践のために書かれたものです。この記事では、それを毎日の短い実践にも当てはめてみます。毎日の実践で目を向けるのは、どれだけ長く瞑想したかではありません。注意がそれたことに気づくまでの速さです。
この速さは、自分で確かめることができます。たとえば、呼吸に注意を向けていたはずが、気づけば明日の会議の段取りを考えていたとしましょう。考えはじめてすぐに気づいたのか、それとも段取りを最後まで組み立ててから気づいたのか。どちらだったかは、自分で見分けられます。しかもこれは、「変わったかどうか」をあとで確かめるのとは違い、気づいたその瞬間に分かります。
雑念に気づいてから、それに向き合っている時間も、むだにはなりません。ニャーナポニカが紹介する瞑想の師の言葉によれば、ふだんの暮らしでは、いろいろな考えが浮かぶのは避けられません。まだ悟りに至っていない心には、どれも、むさぼりや嫌悪といった煩悩が必ず起きます。だからこそ、それらに正面から向き合い、どう扱うかを学ぶことが欠かせず、それは、集中を深めるのとはまた違った形で、同じくらい大事だというのです。そのため、実践の途切れに向き合っている時間を「失われた時間」とみなすべきではない、と師は言います(Nyanaponika 1962: 95 頁 拙訳)。
ここで提案です。毎日の実践で確かめるものを、結果ではなく「いまに戻れたかどうか」に替えてみませんか。研究の指標やアプリのスコアとちがって、これなら今日その場で、自分で確かめられます。毎日目を向けるものを一つだけ替えるとしたら、これは有力な候補です。
眠りや会議のことなど、さきほど挙げたような望みは、始めるきっかけとして持っていてかまいません。替えるのは、マインドフルネスを実践しているあいだに確かめることのほうです。
ただし、マインドフルネスの実践だけではおさまらないほど苦しいときは、速さを気にするよりも先に、医師やカウンセラーなどの専門家に相談してください(本記事は医療的な助言ではありません)。

喜びが集中へつながる、雨と川のたとえ
ここまでは、毎日のマインドフルネスの実践で何を確かめるかを考えてきました。最後に、少し視点を変えて、喜びにまつわる雨と川のたとえを紹介します。アナーラヨは、本の「快い感受と、喜びの大切さ」という節で、経典が喜びについて説いていることを、次のようにまとめています。
多くの経典が、知恵と悟りは、感覚的な快楽によらない喜びと幸せがあってはじめて得られる、と説いている。こうした説明によれば、うれしさ(pāmojja)があると、それを土台に喜び(pīti)と幸せ(sukha)が生まれ、一つが次の原因となって、集中へ、そして悟りへと順につながっていく。ある経典は、このように次々とつながっていく動きを、丘の頂に降った雨が少しずつ小川や川を満たし、やがて海へと流れ下っていく自然な成り行きにたとえている。 (Anālayo 2003: 第 7 章 §VII.3 拙訳)
言い換えると、こういうことです。まず、ちょっとしたうれしい気持ちが生まれます。アナーラヨは別の章で、このうれしさが生まれるきっかけとして、欲やいらだち、眠気など、心を覆うものがいまは無いと気づくことを挙げています(Anālayo 2003: 第 9 章 §IX.3 拙訳)。たとえば、瞑想の途中で、さっきまでのいらだちが消えていると気づいて、少し心が明るくなる。そのくらいの小さな気持ちを思い浮かべると分かりやすいかもしれません。
そのうれしさから、喜びや幸せが生まれます。この喜びや幸せは、引用にあったとおり、感覚的な快楽によらないものです。おいしいものを食べたり、欲しかった物を手に入れたりしたときの楽しさとは、種類が違います。たとえるなら、「もっと欲しい」という気持ちを手放せて、ふっと心が軽くなったときの喜びに近いものです。
雨と川のたとえは、うれしさから始まって悟りへと順に進んでいく心の動きを、丘に降った雨が川になって海まで流れていく様子に重ねたものです。アナーラヨはこのたとえのすぐあとで、感覚的な快楽によらない喜びと幸せがいったん生まれれば、自然に集中と悟りへつながっていく、と書いています(Anālayo 2003: 第 7 章 §VII.3 拙訳)。
丘に降った雨は、誰かが運ばなくても、下へ流れて川になります。喜びも、いったん生まれれば、同じように集中へと向かっていく、ということです。
次に本物の川を見たときは、このたとえを思い出してみてください。水が少しずつ集まり、下流へと流れていく様子に、心の中の喜びが集中へ、そして悟りへとつながっていく流れを重ねてみるのです。週末に家の近くの川沿いを 20 分ほど歩くくらいで十分です。ふだんの場所で瞑想するときも、見てきた川を思い出しながらやってみてください。
私たち Nature Service は、「自然(Nature)に入ることを、もっと自然(Naturally)に。」を掲げています。川を見に出かける先の一つとして、思い出してもらえたらうれしいです。
関連リンク:「青」(海・川・湖)の持つ、「緑」(山・森・木)にも劣らない効果
さいごに
ここまで、「マインドフルネスを続けた結果はいつ出るのか」という問いを、研究の数字と、もとの言葉の両方からたどってきました。最後に、もう一度整理させてください。
- 効果が出るまでの期間の答えがばらばらなのは、何を「効果」と呼んで測っているかが、研究ごとに違うからかもしれません。
- 研究はマインドフルネスの効果を確かめていますが、続ければあなたが求めている変化が起こるという保証はありません。
- もとの言葉 sati がサティパッターナの瞑想の中で思い出させるのは、つい離れてしまう「いまこの瞬間」だと、アナーラヨは解釈しています。
- ニャーナポニカの序論は、苦しみから抜け出したいという願いを、誰もが持つものとして受けとめています。ただ、実践に取りかかったら、先の成果に思いをめぐらせてばかりいないで、練習そのものに注意を向けるよう勧めています。
- 進み具合は一日ごとには測れませんが、注意がそれたことに気づくまでの速さなら、毎日の実践のその場で確かめられます。
マインドフルネスを続けても結果が出ないと感じるとしたら、続け方に問題があるのではなく、目を向けるものが違っていたのかもしれません。毎日の実践で確かめられるのは、結果ではありません。「いま」から離れたことに、どれだけ早く気づけたかです。
結果を求めて始めたことは、間違っていません。望みは、始めるきっかけとして持っていてかまいません。変えるのは、毎日のマインドフルネスの実践で何を確かめるか、それだけです。
今夜の実践を終えたら、雑念があった回数ではなく、雑念に気づけた回数を思い出してみてください。気づけたその瞬間に、あなたはもう「いま」に戻っています。
アプリの「27 日目」という数字も、そのままでかまいません。それはアプリを開いた日数で、あなたが変わったかどうかを測った数字ではありません。そう知ったうえで見ると、数字の重さが少しだけ軽くなるかもしれません。
出典
- Anālayo (2003). Satipaṭṭhāna: The Direct Path to Realization, Windhorse Publications.
- Nyanaponika Thera (1962). The Heart of Buddhist Meditation, Buddhist Publication Society.
- Stanley, Purser & Singh (Eds.) (2018). Handbook of Ethical Foundations of Mindfulness, Springer.
- Galante et al. (2021). Mindfulness-based programmes for mental health promotion in adults in nonclinical settings: A systematic review and meta-analysis of randomised controlled trials, PLOS Medicine.
- Galante et al. (2023). Systematic review and individual participant data meta-analysis of randomized controlled trials assessing mindfulness-based programs for mental health promotion, Nature Mental Health.
- Radin et al. (2025). Digital Meditation to Target Employee StressA Randomized Clinical Trial, JAMA Network Open.
- Hughes et al. (2013). Randomized Controlled Trial of Mindfulness-Based Stress Reduction for Prehypertension, Psychosomatic Medicine.
- Kim et al. (2022). Effects of mindfulness-based stress reduction on adults with sleep disturbance: an updated systematic review and meta-analysis, BMJ Open.
- Lenze et al. (2022). Effects of Mindfulness Training and Exercise on Cognitive Function in Older AdultsA Randomized Clinical Trial, JAMA.
- Hölzel et al. (2011). Mindfulness practice leads to increases in regional brain gray matter density, Psychiatry Research: Neuroimaging.
- Kral et al. (2022). Absence of structural brain changes from mindfulness-based stress reduction: Two combined randomized controlled trials, Science Advances.
- Goldberg et al. (2022). The Empirical Status of Mindfulness-Based Interventions: A Systematic Review of 44 Meta-Analyses of Randomized Controlled Trials, Perspectives on Psychological Science.
- Killingsworth & Gilbert (2010). A Wandering Mind Is an Unhappy Mind, Science.

パリ第四大学哲学修士課程を終了後、翻訳家・ライターとして活動。サステナビリティに興味があり、サステナブルな暮らしをサポートするウェブサイト「エコ哲学」を運営。哲学的な視点を新しいライフスタイルにつなげたいと思い、発信を続けています。