田んぼの畦道のような細い砂の道を、ジープがゆっくりと進んでいく。両側には椰子の木と、刈り入れ前の稲。人の姿はない。標識も、料金所も、土産物屋もない。
やがて、前方のジャングルの茂みの奥に、何かが見えた。赤茶けた石の壁だ。近づくにつれ、それが回廊の跡だとわかる。九百年もの時を、森にのまれたまま、そこに立ち続けてきた寺院だった。観光客は、ひとりもいない。エンジンを切ると、湿った土の匂いと、虫の声だけが残った。
ここは、ふつうの観光バスでは、まずたどり着けない場所だ。
「行った気になる」観光の、その先へ
同じ旅で、私たちは世界遺産アンコールワットにも行った。圧倒的な建築だった。空に伸びる尖塔は、たしかに一見の価値がある。
ただ、正直に言えば、「秘境に来た」という感覚はゼロだった。私たちが訪れた日も、広い参道は世界中からの観光客で埋まり、誰もが同じ構図でスマホを掲げていた。私たちも、その一人だ。素晴らしいものを見た、という満足はある。けれどそれは、絵はがきを実物大で確認したような感覚に近かった。
旅には、こういう瞬間がよくある。有名な「点」を訪れ、写真を撮り、次の「点」へ移動する。名所はいつまでも背景のままで、その土地の暮らしには、ほとんど触れないまま帰っていく。そして私たちも、その土地に何も残さない。
別の旅の仕方は、ないのだろうか。

「点」ではなく、「線」と「面」を旅する
その答えは、移動の手段にあった。ジープである。
観光バスは、舗装された幹線道路を、点から点へと結ぶ。停まれるのは、大型車が入って駐車できる場所だけだ。一方、ドアもないヴィンテージのジープは、バスが物理的に通れない道へ分け入っていける。田んぼの畦道、砂地のトレイル、未舗装の村道、そして川。
そして、ドアすらないということが、決定的だった。ガラスもエアコンもない車は、外の世界とのあいだに、何の隔たりもつくらない。土と草いきれの匂い、家畜の鳴き声、市場のざわめき、頬をなでる生ぬるい風、舞い上がる砂埃。そのすべてが、フィルターを通さず、まるごと飛び込んでくる。窓の向こうに「眺める」のではなく、五感の全部で、その場所の中に「いる」。旅の解像度は、一気に、けた違いに跳ね上がる。「土地とのあいだの壁を取り払う」とは、まさにこのことだった。
すると、旅の景色が変わる。名所と名所のあいだの「線」、つまり移動そのものの途中に、そして道沿いの村や畑という「面」に、その土地の素顔が現れはじめる。旅は、訪れた場所のリストではなくなる。途切れることのない、出会いの連続になる。
ジープが連れて行ってくれた、もう一つのカンボジア
道沿いの村を通るたびに、子どもたちが手を振ってくれた。目を丸くしてこちらを見つめる人もいる。もちろん、こちらも同じように、もの珍しく見られているのだろう。ドアも窓もないジープは、現地の人との間に壁を作らない。目が合い、会釈をかわし、ときには短いやりとりが生まれる。道を半分ふさぐようにして村の結婚式が開かれていたり、にぎやかなお祭りに出くわしたり。観光のために用意された風景ではない、ふだんの暮らしのなかを、私たちは通り抜けていった。
食事も、観光客向けの店ではなかった。地元の人でにぎわう、小さな食堂。よそ者には、そもそもどこに入っていいのかさえわからない。けれど、同乗する現地通訳と、現地コーディネーターのアンドレが「ここがうまい」と連れて行ってくれる。だから、安心して地元の味に手を伸ばせた。あるときは、お寺の境内にジープで乗り入れ、お堂の前で弁当を広げた。寺は祈りの場であると同時に、人が集い、休み、食事をとる、暮らしの場でもあるのだという。道中の安全を願って、別の寺でお祓いを受けたこともあった。手を合わせ、僧侶の長い読経に耳を澄ます。観光ではなく、その土地の信仰の輪に、少しだけ入れてもらったような時間だった。
途中、アンドレが立ち寄らせてくれた学校も、忘れがたい。キリロムにある「ココナッツスクール」では、子どもたちは学費の代わりに、リサイクルできるゴミを持ってくる。ペットボトルや空き缶が、学びへの「入場券」になり、しかも集まったゴミは、校舎そのものの建材にもなる。別の場所では、竹を組んで建てられた校舎を見せてもらい、竹筒に米を詰めて炊くお菓子(クロラン)づくりや、生春巻きの皮づくりを体験した。網の上で薄い皮を焼く。たどたどしい手つきを、地元の人が笑いながら直してくれる。
走っていると、土地の経済も見えてくる。窓だけが細長く開いた、奇妙な造りの建物がある。ツバメを呼び込んで巣を作らせ、高値で取引されるその巣を採るための「ビル」だという。天然ゴムの木が整然と並ぶ農園。バナナやカシューナッツの畑。どれも観光案内には載っていないが、これこそが、この土地で人々が生きている手ざわりだった。
冒頭の、森にのまれた寺院を思い出す。アンコールワットと同じ時代に作られながら、訪れる人もなく、苔むして崩れかけた回廊。皮肉なことに、世界一有名な寺院よりも、名もないその遺跡のほうが、ずっと「発見した」という手応えがあった。
世界一の胡椒と、それに人生を賭けた人
旅の途中、アンドレがふいにジープを停めた。道沿いの胡椒畑に歩み寄り、緑色の実が連なった房を、いたずらっぽく、ひょいともいでくる。「食べてみろ」。生の胡椒を口に入れたのは、初めてだった。噛んだ瞬間、刺すような辛みと、青くフルーティーな香りが、鼻に抜けていく。乾いた粒の胡椒しか知らなかった私たちには、衝撃的な味だった。カンボジアの胡椒は、世界でも指折りの品質で知られる。その理由が、ひと粒で腑に落ちた。
そして別の日、その胡椒に人生を賭けた、ひとりの日本人に出会った。シェムリアップで胡椒の専門店とカフェ「RAYS SHOP」を営む、木下れいなさんだ。その日いただいたカルボナーラには、「ペッパーキャビア」と呼ばれる、生の緑胡椒を塩水に漬けた粒が、たっぷりと乗っていた。クリーミーなソースの上で、胡椒のさわやかな辛みと香りがはじける。文句なしに、絶品だった。
木下さんは、十九歳のとき、たった一人でカンボジアに渡ってきたという。クメール語もわからないまま、現地の日本語学校で一年ほど働いた。そのころ、世界一とも称されるカンポット産の胡椒に出会う。その香りと味に惚れ込み、産地に通い、農家と時間をかけて信頼を築いて、二十歳すぎに自分の店を開いた。胡椒を売るためだけではない。畑で働く人たちに正当な対価を払い、家族と一緒に暮らせる場所をつくる。「作る人」と「食べる人」をつなぐ。それが、彼女の信念だった。胡椒を語る言葉は、どこまでも熱い。その情熱と、何より、若くして単身で異国に飛び込み、ゼロから事業を築き上げた行動力と覚悟に、私たちは胸を打たれた。
観光バスでは、決して出会えなかった人だ。一杯のカルボナーラの向こうに、胡椒畑と、そこで働く人々の暮らしと、ひとりの日本人の人生が、まるごとつながっていた。
(木下れいなさんのお店「RAYS SHOP」 ( https://rays-shop.jp ) )
名所だけが、その土地の価値ではない
この旅が教えてくれたのは、シンプルなことだ。ある土地の魅力は、有名な「点」だけにあるのではない。道沿いの暮らし、学校、市場、食卓、そして人々。その「面」のすべてが、それ自体で立派な体験になる。
そして、こうした旅は、土地に何かを残していく。落ちるお金は、有名遺跡の入場ゲートだけでなく、村の食堂や、お寺や、家族の台所にも届く。観光客が一つの「点」に殺到して疲弊させるのではなく、「線」と「面」に分かれて、価値がゆるやかに行き渡っていく。
もっとも、こうした体験は、ふらりと一人で行って得られるものではない。どの村に入れて、どの食堂なら安心で、どのお寺で何ができるのか。それを知り、つないでくれる現地の存在があってこそ、はじめて「面」は旅人に開かれる。点と点を線でつなぎ、その土地の暮らしまでを一つの体験に編み上げる。それは、れっきとした設計の仕事だ。

この旅を実現してくれた、アンドレさんのチーム
その設計を、今回の旅で引き受けてくれたのが、ここまで何度も登場したアンドレさんだ。彼はシェムリアップを拠点に、「Cambodia Jeep」というジープ専門のチームを率いている。最後に、少しだけ紹介させてほしい。
彼らの相棒は、ベトナム戦争やカンボジア内戦の時代に使われた軍用ジープ(MUTT 151 A2)を、時間をかけてよみがえらせた車たちだ。シェムリアップの自社ガレージに専門のメカニックを抱え、いつでも悪路に出られる状態へ整備している。あのワイルドな道を私たちが安心して走れたのは、この体制があってこそだった。
カンボジアでのセルフドライブ・ジープツアーの草分けで、二十年近くかけて、新しい道や行き先を開拓してきたという。アンコールの王道に少しのオフロードを足した日帰りから、聖なる山プノンクーレンの滝や寝釈迦仏、湖の上に浮かぶ村、象のサンクチュアリ、そして私たちのようなカンボジア横断の長旅まで、行程は自在だ。一人でも、友人同士でも、そして企業の研修やチームビルディングで車列を組んで走る、という使い方にも向いている。
やりとりは英語(またはクメール語)になるけれど、もしこの旅に少しでも心が動いたなら、公式サイトをのぞいてみてほしい。
Cambodia Jeep ( https://cambodiajeep.com ) お問い合わせ: info@cambodiajeep.com
あなたの土地にも、「バスが通れない道」がある
これは、カンボジアに限った話ではない。
どんな地域にも、観光バスが行かない道がある。幹線をひとつ外れた先の集落。ガイドブックが飛ばしてしまう村。地元の人にとっては当たり前すぎて、価値だと気づかれていない暮らしや生業。旅人にとって、そして自分の土地の魅力を伝えたい人にとって、問うべきはたぶん「うちの名所は何か」ではない。「その道沿いに、何があり、誰が暮らしているのか」だ。
次の旅では、幹線を一本外れて、細い道へ入ってみてほしい。きっと、ガイドブックには載っていない素顔が、その先で待っている。
次回(#3)は、「世界は、思っているより広い」。8人で走り抜けた旅が、私たちの内側に何を残したのかを書きます。

NPO法人 Nature Service 共同代表理事
自然大好きで気の合う仲間達とNature Serviceを立ち上げました。北極から南極、アメリカ横断、アフリカ、北欧、オセアニア、南米などいろいろな自然を求めて旅しています。自然好きですが虫キライです。