土砂降りだった。
ワイパーは、ない。あったとしても動かない。フロントガラスを叩きつける雨の向こうに、赤茶けた泥の坂が立ち上がっている。タイヤが空転し、車体がずるりと斜めに滑る。アクセルをべた踏みする。エンジンが悲鳴のような音を上げ、黒い煙を吐き出す。「本当に、ここを登れるのか」。誰かのつぶやきは、雨にかき消された。
そして、登り切った。
その瞬間、まるで空が抜けたように、さらに激しい雨が落ちてきた。ジャングルが白くけぶり、全身ずぶ濡れのまま、車内の全員が声にならない声を上げていた。あとから「あれが一番楽しかった」と、誰もが口をそろえることになる場面である。
これは、観光ではない。カンボジアの森の奥を、自分の手で運転して越えていく旅の話だ。
整いすぎた移動に、少し飽きてはいないか
日本でのドライブを思い浮かべてほしい。クーラーが効いている。ドアがある。アクセルを踏めば、車は素直に加速する。カーナビが最短ルートを示し、舗装路はどこまでも滑らかに続く。快適で、安全で、予測可能だ。
それはとてもありがたいことで、否定する理由は何もない。ただ、その快適さに慣れきったとき、私たちは旅から「わからなさ」を少しずつ失っているのかもしれない。次に何が起きるかわからない。この道の先に何があるかわからない。あの高揚を、最後に味わったのはいつだろう。
2025年の秋、8人の仲間と4台のジープで、カンボジアを8日間かけて横断した。首都プノンペンを出発し、カルダモン山地の奥深くを越え、世界遺産アンコールのあるシェムリアップを目指す。ガイドブックの矢印の上をなぞる旅ではなく、一般の地図には表れないような奥の道を、自分で走る旅だった。

オーバーランドという、移動そのものが冒険になる旅
この旅のスタイルは「オーバーランド(Overlanding)」と呼ばれる。目的地に効率よくたどり着くことではなく、移動の過程そのものを体験として味わう旅のことだ。四輪駆動の車で、舗装されていない道や河を、自分の判断とハンドルさばきで越えていく。
私たちの相棒は、ヴィンテージのジープだった。相棒、と呼ぶには少し心もとない代物でもある。ドアはない。速度計やメーターの並んだインパネは、ほとんど針が動いていない。「動かないけど気にしないで」と現地のスタッフは笑う。日本人の感覚では真っ先に不安になるところだが、ここではそれが普通らしい。
ボンネットを開けると、ジープの車体に乗用車のエンジンが積み替えられていた。聞けばトヨタのものだという。途中からは「これはもしかすると、四輪駆動ですらないかもしれない」という疑いまで芽生えてきた。坂を上るたびに、本当に上りきれるのか半信半疑になる。けれど、その頼りなさが、かえっておかしくて、愛おしかった。
私たちの旅を差配したのは、現地コーディネーターのアンドレ。カンボジアに長く暮らすドイツ人だ。彼のチームの役割には、後で触れる。
出発は、首都の喧騒のど真ん中から
冒険は、いきなり首都プノンペンの雑踏から始まった。
二輪も四輪も、それぞれが思い思いの速度で、クラクションを鳴らしながら絶え間なく流れていく。想像していた以上に密度の高い、活気にあふれた交通のただ中だ。そこへ、ドアのないジープで分け入っていく。慣れない左ハンドルと右側通行。シャツに汗をにじませながら、現地の人のような顔をしてハンドルを握る。隣を、家族を乗せた一台のバイクがすり抜けていった。
ドアがないということは、街がそのまま車内に入ってくるということでもある。窓ガラスも、エアコンもない。排気ガス、屋台で揚がる油、熟れすぎた果物、どこか饐えたような生活の匂い。それらが入りまじった、むせ返るほど濃い空気が、走るたびに正面から流れ込んでくる。湿った熱気が肌にまとわりつき、舞い上がった土埃が口の中でざらりとした。クラクションと物売りの声が、すぐ耳元で鳴る。日本の、密閉された清潔な車内では決して届かない情報量だ。良いも悪いもない。ただ、まぎれもなく今カンボジアにいる、という実感が、五感のすべてから一気に押し寄せてくる。
正直に言えば、ドキドキした。けれど、いざ走り出してしまえば、不思議と楽しさが恐怖を上回る。自分がこの街の流れの一部になっていく感覚。これは、ツアーバスの窓越しには絶対に味わえないものだ。

移動初日、いきなりの渡河
舗装路を外れ、田園地帯のダート(未舗装路)に入ると、景色は一変した。土の道、点在する家屋、手を振る子どもたち。そして移動の初日、最初の試練が早くもやってきた。
行く手の道が、まるごと水に沈んでいた。水たまり、などと呼べる規模ではない。道があるはずの場所が、見わたすかぎりの茶色い湖になっている。目算でも、ゆうに100メートルは超えていた。たしかに、その向こうに道は続いているらしい。けれど手前の100メートルあまりは、すっかり水の底だ。行くべきか、引き返すべきか。誰もが車を止めて見つめていると、後ろから来た親子二人乗りのバイクが、しぶきを上げながらするすると渡りきっていった。
「あれが行けるなら、いけるんじゃないか」
現地のスタッフがズボンの裾をまくり上げ、水深を確かめながら歩いて先導する。まずサポートのランドクルーザーが渡り、上空にはドローンが飛んだ。そしてジープが、エンジン音を響かせて茶色い水へ突っ込んでいく。無事に渡りきったとき、全員が歓声を上げた。移動の初日、それも午前のうちから、これだ。「こういうのが欲しかったんだ」と、誰かが言った。旅のテンションは、この一回で一気に振り切れた。
雲の海の、上に出る
その日の夕暮れ、暗くなりはじめた山道を登っていくと、突然、視界が大きく開けた。
眼下に、谷を埋めつくす霧が、雲の海のように広がっていた。まるで雲の上に立っているようだった。涼しい風が松林を抜けていく。昼間の首都の暑さが嘘のようだ。「すごいところに来てしまったぞ」。その実感が、静かに胸に満ちてくる。
オーバーヒートし、脱輪し、それでも進む
カルダモン山地の奥に分け入っていくほど、道は荒くなり、トラブルも増えていった。
急な坂を登り続けると、ジープはしばしばオーバーヒートした。ボンネットから湯気を上げる車に、休み休み水を足しながら進む。仲間の一台は黒い煙を吐いて速度が出ず、アクセルをべた踏みしてもどんどん遅れ、気づけば、はぐれていた。それでも、後方にはメカニックの乗るサポートカーが常についている。慌てる必要はなく、最終的にはきちんと合流できた。
そして、ある日のことだ。狭い道で車の向きを変えようとしたとき、運転していた仲間がバックした拍子に、後輪が道の端から外れ、ジープが斜めにずり落ちた。脱輪である。いや、脱輪というより、車体が半分、道から落ちていた。一同、しばし呆然とし、それから誰からともなく笑いが漏れた。
全員で車を降りる。古いジープは、見た目よりずっと軽い。車体に手をかけ、足元の泥に踏ん張りながら、声を掛け合う。せーの、で一気に持ち上げる。何度か息を合わせるうちに、ジープはずるりと道の上へ戻ってきた。人力での生還である。泥だらけの手を払いながら、誰もが笑っていた。こういうことが起きて、それを皆で力ずくで乗り越えるのも、この旅なのだ。
雨で河の水位が上がり、本来渡るはずだった先のジャングルへの道を、断念して引き返した日もあった。自然が相手である以上、計画どおりにいかないのは当たり前だ。行けない、という判断もまた、冒険の一部だった。
ワイルドさは、確かな段取りに支えられている
ここまで読んで、危なっかしい旅だと感じた方もいるかもしれない。ドアのないボロジープ、渡河、土砂降りの泥坂、脱輪。たしかに、ワイルドだ。けれど、私たちは一度も「本気で危ない」とは感じなかった。不安が、ほとんど一つもなかったのである。
私たちは、自然のなかに身を置くことには慣れている。これまでも、自分たちでキャンプを張り、不便を楽しむような旅を重ねてきた。だから、ワイルドさそのものに臆する集団ではない。それでも、カンボジアは全員が初めてだった。言葉が通じない。どの道が安全で、どの集落で何に気をつけるべきか、見当もつかない。本当の壁は、私たちの慣れや度胸ではなく、未知の国の文化と安全のほうにあった。
その壁を越えさせてくれたのが、現地コーディネーターのアンドレと、彼の率いるチームだった。
故障に備えて、メカニックと現地通訳の乗るサポートカーが、常に後方に控える。村に立ち寄れば通訳が間に入り、言葉と作法の壁が一瞬で低くなる。渡河の前には必ず人が歩いて水深を確かめ、危険だと判断すれば潔く引き返す。どこまで攻めてよく、どこで退くべきか。その線引きを、現地を知り尽くした彼らが引いてくれる。だからこそ私たちは、未知の国の奥地でも、目の前のワイルドにまっすぐ集中できた。
冒険と安心は、しばしば相反するものだと思われている。けれど実際には、安心は冒険を殺すどころか、冒険を可能にする土台になる。とりわけ、文化も言葉も安全の勘所もわからない異国では、その土台がなければ、ワイルドはただの無謀になってしまう。
たしかに、「サポートが付いているなら本物の冒険ではない」と感じる人もいるだろう。オーバーランドという言葉も、本来はすべてを自分で背負う「自己完結型」の旅を指すことが多い。その意味で、私たちの旅は厳密なオーバーランドというより、現地のプロと組んだ探検だった。
それでも、と思う。異国の地で、超えるべき壁と引き返すべき壁を正しく見極めるには、現地の知恵がいる。アンドレのチームは、私たちの代わりに冒険してくれたわけではない。私たちが冒険そのものに集中できる土台を、見えないところで支えてくれていたのだ。
「わからなさ」は、すぐ隣にもある
カンボジアまで行かなければ味わえない体験だった、とは思わない。
日本にも、地図の上では細い線でしか描かれていない林道があり、まだ名前を知らない里山があり、季節ごとに表情を変えるフィールドがある。たいせつなのは行き先の遠さではなく、「次に何が起きるかわからない」場所へ、一歩を踏み出してみることだ。完璧な準備が整うのを待つ必要はない。信頼できる案内人と、少しの好奇心があればいい。
整いすぎた移動に、少し飽きていたのなら。週末の小さな冒険から、はじめてみてはどうだろう。
次回(#2)は、「観光バスが通れない道の先へ」。ジープでしかたどり着けなかった、ガイドブックに載らないカンボジアの素顔について書きます。

NPO法人 Nature Service 共同代表理事
自然大好きで気の合う仲間達とNature Serviceを立ち上げました。北極から南極、アメリカ横断、アフリカ、北欧、オセアニア、南米などいろいろな自然を求めて旅しています。自然好きですが虫キライです。